帰らないのか、帰れないのか?
 『まだ』なのか、『もう』なのか?

 その問いの答えは、瓦礫の下。
 さびしがりの道化が、世界中から玩具をかき集めるように天まで届けと積みあげたがらくたの下、こわれた夢の残骸の下だ。

 彼は自分にとって何だったのか、という問いの答えも同じ場所にある。
 簡単には手に入らない。

「……面倒くさいな」
 もぞもぞと動く温かな毛玉を抱きしめて、リルムは呟いた。
 本音かと問われたら、半分は確実にそうだった。



 砂利を擦って近づいてくる足音に、リルムは振り向いた。
 今まさに声をかけようとしていたのだろう。片手を挙げて口を半開きにしていたエドガーは、そのままぎしりと固まり、無言でいびつな笑みを形作る。
「なにそれ、変な顔」
 笑いながら言い、屈んでいたリルムは立ち上がった。彼女の前にあるのは、つい先日亡くなったばかりの黒い犬の墓だ。とても簡素な、ささやかな、ちっぽけな墓。

 リルムはインターセプターを好きだった。だから墓を造ったのだが、あの子との思い出を詰めこむにはこの墓は小さすぎると感じていた。もっとも、どんな墓を造ろうともそう感じただろう。同じ夢を追っていた女に、何の遺跡かと見紛うほど巨大な墓を造ってやった賭博師もきっと同意見だろう。
 どんな墓でも、面影を求めてそれを訪れるものにとっては小さすぎる。
 こんなところにあいつの全ては入ってないと言いたくなる。
 だとしても――やはり、墓は必要なのだ。眼に見えるせめてもの何かが。

「もう既に、お聞き及びでしょうけどね」
 リルムは腕の中の仔犬の、やわらかな腹をくすぐりながら言った。眠っている仔犬は少し煩そうに身じろぎをする。
「じじいがやっと吐いたよ」
「……皆、それぞれに驚いていると思うよ」
 エドガーは、喉が詰まったような発音でやっと言った。

 瓦礫の塔から脱出して半年後の今日。
 シャドウが何者であったのかが、仲間たち全員の知るところとなった。



                 *          *          *



「シャドウ!」
 崩壊してゆく芥の迷宮を駆け抜けながら、最初に異変に気づいたのは、ロックだった――らしい。らしいというのはエドガーはその場面を見ていないからだ。
 瓦礫の塔からの脱出時、一行は大体ひとかたまりで行動していたが、さすがに人数が多いので速度にばらつきがあった。遅れすぎる仲間が出ないよう注意が配られていたが、脚力差は如何ともしがたい。だがむしろそれを利用して、俊足のロックやガウが先行してルートを模索し、エドガーやカイエンが女性陣や魔導士たちを庇いながら進んでゆく方法が採られていた。
「どこ行くんだ、こっちだぞ?!」
 一行からそれとなく距離を取りはじめていたシャドウは足を止めた。目立たぬ自然な外れ方だったが、目敏い宝探し屋を誤魔化しきれなかったのだ。帝国の実験施設の名残である巨大なベルトコンベアの上に立ち、黒衣の暗殺者はつと中空を仰ぐ。
「そっちが、ちかみちなのか?」
 ガウが唸り声混じりに言った。声には不信感がある。当然の判断力と野生の本能との両方で、そちらは違うと主張している。
 シャドウは仲間たちの顔を見なかった。中空に視線をあてたまま、足元から響いてくる地鳴りや崩れかかる廃材の音などに消されぬよう、鋭くひとこと言う。
「先に行け」
 聞き返す間も呼び止める間もなく、ベルトコンベアの斜面をひといきに駆け上がって瓦礫の向こうへと消える。黒い犬だけが一陣の颶風のように続き、あとには何も残らない。
「……え、おい、今さら何の用事だよ?!」
 マッシュが混乱して吼えた。
「さ、先に行けって言われたって」
 ロックは唖然と立ち竦む。ばらばらと追いついてきた仲間たちが、彼らの様子を見て不審げな表情をつくる。シャドウがひとりでどっか行っちゃったんだよ、と説明するマッシュの声を聞き、ストラゴスがぴくりと眉を動かした。
 急な出来事に戸惑い、混乱し、全員がわだかまって立ち止まる。ぐずぐずしていられないのは解っていた。均衡を失った巨塔は、自重によって今にも崩れおちる寸前だ。
「……仕方がない、先に行こう。現実問題としていつまでもここにはいられない」
 エドガーが誰の眼も見ずに言った。
 心配に眉を寄せ、勝手さに愚痴を漏らしつつも、一同は再び走りはじめた。彼らが迷いながらも先んじての脱出を選んだ理由は、シャドウが単独行動を取ることは普段から珍しくなかったからだ。本隊と分かれて暗躍する斥候、気取られずに不意を突く別働隊、彼の能力はその手の任に向いていた。ある程度の自己判断で自由に動くこともままあった。
 シャドウの危機管理能力の高さをみな信頼していた。彼にしか通れぬ隙間、彼にしか登れぬ壁を行きつぐ経路はあろうと思われた。口数が少なく意志を汲みづらい男だが、柔な男ではないのだし――何よりも、まさか彼に、脱出の意思自体がないとは思わなかったから。

 エドガーは走りながら、黙りこむストラゴスの顔を気遣わしげに見た。
 かつて打ち明けられた内容を思い起こす。『ワシはあの暗殺者の出自について、ある推測を抱いている。それは恐らくリルムにまつわるものじゃ。王侯なれば人脈も広かろう、証拠集めに協力してもらえんか』――
 確証はない。確証はない、らしいのだが。
『……シャドウ』
 エドガーは心中で苦々しく呟く。
『……卑怯者だ、おまえは』
 シャドウがこの機に離脱したのは、明らかに故意だ。後腐れなく行方を眩ますのにこれ以上の好機はない。平時であれば、自分はここに残って黒い背中を追っただろう。だが今はどうしても躊躇う。
 崩れゆく塔から、仲間たちすべてを無事に脱出させたい。
 すべてのくくりの中には自分自身も含まれている。フィガロ王である彼は一人身ではない。生きて帰らねばならない。生命が惜しいという個人的な欲求は否定しない。しかし、自らを顧みぬものには何も守れないことを彼は知っている。
『……それに』
 エドガーは前を見据える。彼が戻らぬなどと、誰が決めた?
 シャドウがいつか失踪するかもしれないという懸念はあった。これまで名乗りをあげていない彼は、自らの素性を知られればきっと逃げ出すだろう。仮定から導かれる当然の想定だ。だが、あくまで想定だ。そのまま二度と戻らないという結論ではない。
 迷いはあるのだろう。あるいは呪いが。だが、それと決別するために彼は死地にひとり残ったのではないか。今まで自らを戒めてきた強さを、正の方向へと反転させられるのではないか。そうするだけの動機を旅の中で培ったのではないか――

 だが日が経つにつれ、エドガーはその考えを、昏い覚悟に変えなければならなかった。



 脱出後、ティナを受け止めたファルコン号は、巨大な塔のほとりに舞い戻って崩落に巻きこまれないぎりぎりの位置に着陸した。
 そこで待った。
 ずっと待った。黒衣の人影が、瓦礫の山から這い出てくるのを。
 迎えに行くのは難しかった。壁のかけらやガラス片などの落下物が絶え間なく、またどこからともなく火が出はじめたので誰も近づけなかった。
 火は4日ほど燃えつづけ、相当の面積を炭色に焦がして5日目に消えた。
 塔の本棟はすでに焼け落ち、残りの部分も時間をかけてみちみちと崩れていった。

 6日目、黒い犬だけが戻ってきた。
 犬は全身ぐしょ濡れだった。瓦礫の塔のどこかに古井戸か、実験施設の廃プールがあり、そこに入りこんで火をやり過ごしたのだろうと判断された。
 犬は清潔な水をがぶがぶ呑み、差し出された食べ物はちろりと舐めただけで、あとは絵師の少女の膝に倒れ伏して泥のように眠った。

 11日目、ケフカ消滅の報を聞いた近隣の住民たちが集まってきた。
 人々は瓦礫の山にのぼり、使えそうな資材を運び出し始めた。屑鉄も、廃材も、いまや貴重な資源だった。
 使えるものは持ち出され、使えないものは捨て置かれた。かなりの量の資材が運び出されても、残された瓦礫はまだまだ小さめの山脈を為すほどの量を誇っていた。砕けたコンクリート、破損のひどい木材、焼け焦げた壁などが主な内訳だった。でもそれはそれだけの山だった。
 シャドウはどこにもいなかった。
 解らなかった。誰にも解らなくなってしまった。燃えたか、砕けたか、埋まったか。希望は持てない状況だけを見せつけ、しかし裏付けるだけの証拠は残さず、唐突に彼はいなくなってしまった。

 恐らく生きてはいなかった。それを信じないほど、一同は夢に棲んでいない。
 ただ、目の前で生命を奪われたわけでも眠りにつくのを看取ったわけでもない死は、実体がなく、掴みどころがなく、いつまでも漠然としておぼつかなかった。

 27日目、ついにファルコンは待ち人を得ぬまま瓦礫のほとりから飛び立った。
 その地を離れることを黒い犬は嫌がらなかった。ただ一声も発さず、ぴったり少女の傍に寄り添っていた。
 セッツァーは各自を故郷まで送り届けた。サマサで少女と祖父を降ろしたとき、犬は当然のように同地に一緒に降り立った。
「……彼氏ができたね、リルム」
 フィガロ王の下手な冗談に、リルムも頑張って笑った。
「……違うよ。インターセプターちゃんにはもう、彼女がいるもん」
 事実、まれに一行がサマサに寄るたび、彼に興味を示して近づいてくる雌犬がいた。茅の穂のような明るい薄茶色をしたかわいい犬だった。
 インターセプターは、主人の生前はこの犬に興味を示さなかった。全神経を黒い主だけに集中させて、彼女がそこにいると認識すらしないような態度を常に保っていた。
 だが、彼が集中を向ける相手はもういなかった。
 インターセプターはリルムの家で門戸を守るようになった。怪しい人影には容赦しなかったが、くだんの雌犬については寄り添ってくるに任せていた。鋭い眼光は変わらなかったが、以前より動きが鈍くなった。病気でもしたのかとリルムは訝しんだが、見守るうちに彼はもともと相応の老犬であったのだと気がついた。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだった。
 数か月が過ぎ、雌犬の腹がふっくらと張りはじめた。
 しかし仔犬の誕生には間に合わず、急激に老いた黒犬は主人のもとへと旅立った。
 リルムはインターセプターの首輪を、形見として残しておくために外そうとした。そのとき彼女は首輪の裏に仕込まれていた2つの物体に気づいた。真鍮の鍵と、油紙に描かれて小さく折りたたまれている地図だった。
 地図の場所は、サマサ近郊にある数本の松が生えた崖の上を示していた。
 リルムはその場所に赴き、地図に従って西から5本目の松の根元を掘り起こした。土中からは金属の枠がついた頑丈な木箱があらわれた。
 鍵を使い、リルムは箱を開けた。
 箱の中には何個かの皮袋、そして1通の書状が入っていた。書状にはいくつかの事実がごく簡潔な文章で書かれていた。

 ・暗殺者シャドウの本名は、クライドであること
 ・『シャドウ』の名はもともと、彼ともう1名で構成された列車強盗団の名であること
 ・以下に、当事者からの自供として、過去『シャドウ』が行った犯罪を挙げること
 ・ただし多数に及ぶので、これはクライドが記憶するかぎりの例であり、全てではないこと

 いくつかの日付や路線名が、一覧表として挙げられたあと、数行空いて――

 ・サマサ在住のリルム・アローニィに、この箱に納められた一切の財産を譲り渡すこと
 ・以下に、目録を示すこと

 書状の内容はそれだけだった。リルムは皮袋を取り、中身を見た。金貨と銀貨が律儀に小分けされて入っていた。
 書状はクライドの名前で署名がされていた。書かれている日付は、仲間たち一行が瓦礫の塔での最終決戦へと赴いた前日だ。シャドウがその日、『決戦に向けて個人的な準備がある』として会議を欠席していたのをリルムは思い出した。
 舐めるように顔を近づけて紙面を見ていたリルムは、最後の行に小さな修正の跡があるのを見つけた。上から白い顔料が薄く塗られており、一見なにも書かれていなかったように装われているが、明らかに修正の跡だった。
 リルムは懸命に光に透かしてみて、下に書かれた文字を判別した。
 『指輪は』という語が、かろうじて読めた。

 リルムは、首から鎖で下げている形見の指輪をぐっと握りしめた。
 これについて交わした彼とのやりとりを、何度も何度も心の中で反芻した。

 サマサに帰ったリルムは、無言のまま書状を祖父に見せた。
 ストラゴスは眼を見開き、肩を落として座り込み、長い間そうしていた。リルムが顔を覗きこむと、歯を食いしばって泣いていた。すまん、すまんと繰り返す祖父の禿げかけた頭を、リルムは曖昧な心持ちで見た。
「……言えなかった理由は、いくつかある」
 子供のようにしゃくり上げながら老魔導士は言った。
「なにしろ確証がなかった。どことなく風貌が似ている、あの犬がおまえに懐く、判断材料はそれくらいじゃ。あの男は一度もきちんと顔を見せなんだし、ワシの記憶違いの可能性もあった。問い詰めてもよかったが、追いつめすぎて逃げられては元も子もない。……ああ、しかし」
 ストラゴスは両手で顔を覆う。
「あそこで居なくなると解っていたら、なんとしても問い詰めて、認めさせて、引き留めておくべきじゃった……!」
「……おじいちゃんが慎重になってたのは仕方ないよ」
 自分の声がなんだか遠いな、と思いながらリルムは言った。
「あたしと再会しても、自分から素性を名乗らないで黙ってたわけでしょ。だったら実際、素性がばれたと知ったら逃げ出したかも知れないしね……」
 先に泣かれちゃったからかな、と頭の隅で考える。あたしが妙に落ち着いてる理由は。
 おじいちゃんに先に取り乱されちゃったから、感情を爆発させるきっかけを失ったんだろうか。でも少し違うような気もする。何が違うのかは自分でも解らないけど。
 リルムはテーブルに置いた皮袋を取りあげ、左右に振りながら言った。
「別に文句ってわけじゃないけどさ、もと列車強盗団にして一流の暗殺者、の遺産にしては地味な量だね。あとは自分で使ったのかな?」
 彼女が相続したのは、もちろん少なからぬ金だ。だが確かに、故人の仰々しい経歴に見合うほどのもの凄い大金ではなかった。自前の店をもつ商人が、家を出てこれから独り立ちする次男坊に持たせてやる準備金程度の額だ。
「……そういえば」
 ストラゴスが、顔をぐしゃぐしゃにしたまま呟いた。
「半年前、サマサの教会が、高額の寄付があったとかで炊き出しを行っていたゾイ。当時、近くの村や街でも、救貧院や孤児院に匿名の寄付があったと聞いておる。どこぞの金持ちの酔狂じゃろうと思っていたのじゃが……」
「なるほどね。犯罪や裏稼業で得た金は、社会に還元させたってわけか」
 では、リルムに相続させたこの金は恐らく、ファルコンで皆と行動するようになってから蓄えた金なのだろう。あの戦いの日々、妖物を斃して得られた肉や角、毛皮や爪は、専門の業者へと卸されて一行の収入源となっていた。妖物の中には具体的に金貨や宝飾を蓄えているものもおり、所有者の解らないものについてはそれも回収された。
 得られた収入から、全員の食費や光熱費、飛空艇の燃料費などが引かれ、残った分が平等に分配されていた。その配当をシャドウはこつこつ貯めていたのだろう。きれいな金にこだわる潔癖さを、リルムは意外にも思ったが、彼なりのけじめなのかも知れなかった。
「おじいちゃん、みんなに手紙書いてよ」
「……何と?」
「黙ってるのも気持ち悪いっていうか、みんなこの事実は知りたいんじゃないかな。……あたしもシャドウも、全員にとって大事な仲間でしょ。なんであれ正確な情報を伝えておいたほうがいいと思って」
 シャドウと彼を表現する声に、ストラゴスは思わず孫娘の眼を見る。だがそこに湛えられた色を見て口を噤んだ。昨日の今日で、すぐさま呼び名を変えられるものではないだろう。
 リルムは棚から、便箋の束とペン立てを取り、祖父の前に置いた。
 小さく息を吐き、変に優しい口調で言う。
「……仔犬の様子、見てくるね。お母さん犬もそろそろ唸らないようになってきたから」



『リルムが、ついに真実を知った』
 ストラゴスの手紙を受け取ったエドガーは、椅子から勢いよく立ち上がった。長い脚が小さな作業机を蹴飛ばして、今まで執心していた機械細工の部品が床に散らばってしまい、一瞬だけ天を仰いだがともかくあとで拾えばいい。
 セッツァーを足に呼ぼうかと考えたが、呼びつけて来させるまでの時間が惜しい。城からチョコボを駆って急ぎサウスフィガロに出て、そこから自前の高速艇に乗る。サマサに着き、早い到着に驚くストラゴスにリルムはどこかと尋ねる。
 そして今、2人は立っていた。村を見下ろす高台のインターセプターの墓前に。



                 *          *          *



「色男は、じじいから聞いて知ってたんだって?」
「……可能性だけは。裏付けを取るのに協力してくれと請われていた」
 エドガーは張らない声で答えた。つい言い訳のように付け加える。
「ストラゴスは俺の他に、セッツァーとロックには打ち明けるかどうか悩んでいたらしい。セッツァーは稼業上、裏社会に明るいし、ロックもあれで盗掘者ギルドの一員だから情報が早い。俺は身分上、暗殺者といった存在には注意しているから普段から情報は仕入れていた。暗殺者シャドウの名も以前から知っていたよ。……結果的に俺ひとりにしか言わなかったのは、仲間たちを刺激したくなかったからだろうな。ロックはいささか口の軽いところがあるし」
 リルムは口の中だけでふうんと返事し、それきり黙った。
 里の遠景を見下ろしたまま少女は動かない。帽子から伸びている濃い金色の巻き毛が、風に乱れてゆらりとたなびく。髪が伸びたな、とエドガーは思う。
 静寂がいたたまれなくなり、フィガロ王は口を開いた。
「その仔犬は、インターセプターの忘れ形見かい? あいつもなかなか手が早いなあ」
「ああ、うん。可愛いでしょ」
 薄く笑って、リルムは腕に抱いた仔犬をエドガーに見せる。夢うつつの幼い獣は、あうう、と小さな声をあげて身じろぎをする。仔犬の愛らしさよりもむしろリルムの応答が嬉しく、エドガーも微笑んだ。
「ちゃっかり仔犬つくっておきながら、産まれてくるの待たないで、顔も見ないで逝っちゃうなんてひどいよね。残されたほうの気持ち考えろっつうの。……まったく、そんなとこまで飼い主に似なくてもいいのにね」
 微笑みの形のまま、エドガーは瞬間的にあらゆる言葉を脳内で検索した。
「……リルム、」
「あのさ、あたし、ずっと考えてたんだよね。ここらでひとつ外部視点からのご意見をお伺いしようかな。なんでシャドウはお母さんが死んだあと、あたしを置いて出ていったんだと思う? そしてなんで、再会しても父親だって名乗らなかったんだと思う?」
 危惧していた、いや、予測していた質問だった。
 エドガーは密かに深呼吸する。身体ではなく心の中で。
「シャドウは確かに君を残して家を出ていった。だが、君を嫌って、君を疎んじて出ていったわけではない。俺はそう信じている」
「うん……まあ、本当に疎んじてたら、同じ飛空艇で一緒に旅したりはしないだろうね」
 考え考え、リルムは言った。
「本当にうっとおしかったら、自分のガキだと気づいた時点でとっとと逃げ出すよね。何かの理由で逃げられなかったとしても、徹底的に避けようとしただろうし。でも実際には……普通に会話したり、大事な犬に触らせてくれたり、そういうことはしてるからねえ」
「君や、お母さんの墓を護るために、あえて遠ざけたとも考えられる。 理由はどうあれ彼はかつて犯罪者として、のちに暗殺者として生きていた。いずれも恨みを買いかねない職業だ。クライド、またはシャドウへの復讐を目論む者によって家族に累が及ぶのを恐れて、名乗れなかったのかも知れない」
「それはあたしも考えた。でも……じゃあなんで、あたしのお母さんとくっついたんだろうね。危ない目に合わせるかも知れない、生まれてくる子にも責任が持てないって最初から解ってるなら、他人と関わりを持たなければいいのに」
「彼とて人の子だ。土や石のようには生きられなかったんだろう」
「じゃあ、別方向からの話をするけどさ。シャドウって、どの組織にも属してない一匹狼だったんでしょ。正体も、素顔すらも知られてなかったんでしょ? だったら依頼を受けないようにして、行方をくらまして、覆面取って装束を脱げばもう別人だよね。世界が壊れちゃった後には、列車強盗時代のほとぼりも冷めただろうし。そのうえで、あたしのお父さんだと名乗って、第二の人生を始めるのは不可能だったのかな?」
 二の句が次げないエドガーの返答を待たず、リルムは続ける。
「あと、世界が崩壊したとき人口がかなり減ったでしょ。シャドウに復讐したい人がいたとして、どれくらい生き残れただろうね。仮に生きてたとしても、もはや意趣返しどころじゃない気がするよ。……ていうか実際、ファルコンで一緒に旅をしてたころ、シャドウに誰かから追手がかかってた雰囲気はなかったし」
「…………」
「そもそもさ、『飛空艇に乗って仲間と旅をする』、これってすでに暗殺者シャドウにとって立派な弱みだったと思わない? あの一匹狼のシャドウが仲間を得たわけでしょ。あたしに危害を加えられたくないから名乗らない、って考え方はこの時点で変だね。だって、もしあたしがシャドウに何かしてやりたい側だったらこう考えるもん。『ファルコンに乗っているあいつの仲間をひとり攫ってやろう、特にあの弱そうなガキが手ごろだ』って。親だと名乗りたい気持ちがもしあったなら、もはや隠す意味はないと判断して、この機会に名乗ると思うよ。そうしなかったのは……そうする気がなかったからだろうね」
 語気を荒げるではない、涙が混じるでもない。
 淀みなく、陰気さもなく、リルムは淡々と構築した推理を語る。彼女はずっと、本当にずっと考えていたのだろう。もう帰らぬ人の思考を追って。
「リルム。さっきも言ったが、」
「うん。別に、あたしがシャドウにすごく避けられてたとは思ってない。ファルコンの日々の中で、そう感じた覚えはない。お互いに助けて、助けられての毎日だったし。……あの期に及んでいなくなるとか信じらんないし、何考えてるのか解んない奴だったけど。あたしにとってもみんなにとっても、頼れる奴ではあった」
 腕の中のかよわいぬくもりに視線を落としつつ、リルムは言った。
「……いろいろ総合して考えるに、自分には親の資格がないと判断したとか、そんなところじゃないかな。けっこうご立派な犯罪者だったみたいだし。あるいは娘に、日陰者の子という汚名を着せたくなかった、みたいな? 犯罪者時代に、よっぽど自分が嫌いになるような経験でもあったのかもね。まあ無責任には違いないけど」
「……リルム」
 言葉を飾るのを諦めて、エドガーは彼女の名を呼ぶ。
「泣かないのか」
 顔を上げた少女の金褐色の瞳が、悪戯っぽく細められる。
「なに、泣いてほしいの?」
 そうかも知れないとエドガーは思う。事実、彼が急いでサマサに飛んできたのはリルムを慰めるためのつもりだった。父を失い、きっと打ちひしがれていると。
 だが言われてみれば、リルムがシャドウに対して抱く感情は複雑なのだろう。

 自分の場合としてエドガーは考える。仲間を喪うという経験は、いつの時代も心軋む耐えがたい記憶だ。では後になって、それが実の父だと聞かされたら?
 強い驚きとともに、怒りに似た思いが浮かぶ。なぜ生きているうちに教えてくれなかった? せっかくの機会を逃した悔しさは大きい。ただ同時に戸惑いも浮かぶ。自分はその人を、肉親としてはごく幼いころに別れたその人を、どのように考えればいいのだろう。
 情に飢えて育ったわけではない。自分には敬愛する育ての親がいたのだ、リルムにとってのストラゴスのように。リルムは自分とは違い、両親の存在は欠けていたが、それでもストラゴスが良い保護者であった事実に疑いはない。
 親子として対面し、時間をかければ、築かれる何かがあったかも知れない。それを手に入れられなかった感情は哀しみに近い。しかし、自分は自分なりに今までどの仲間たちとも真摯に接してきた。それぞれの力量を認め、それぞれの人格を愛してきたのだ。彼らを喪う哀しみは、実は肉親だったからとて急に種類の変わるものだろうか。
 得られたかも知れない絆を、惜しむ気持ちはある。しかし、自分が彼とどう接してきたか、その歴史によってしか感情の強さは変わらない……

 エドガーはリルムの薄い肩を見つめた。
 恐らくリルムはいま、虚無感に捉われているのだ。あったかも知れない何かを可能性のままで呆気なく喪った感覚。代償として奇妙な冷静さを得ているのだろう。
 ただ、エドガーにはひとつだけ掛けておきたい言葉があった。
「リルム」
 穏やかな声で話しかける。
「何であれ……君がシャドウをそういう風に考えてくれていてよかった」
 肉親としての絆を培う時間はなかったかも知れない。だが、かつて自分を置き去りにした父の意図を、リルムがあくまでも柔らかく受けとっている事実には安心した。
「君が、シャドウのことを恨んでいなくてよかった」



「何、言ってるの」
 サマサの絵師は、正面からフィガロ王の顔を見た。
 彼女の瞳に穏やかな色はなかった。
「あたし、シャドウのこと恨んでるよ」



「…………リル」
「どうして恨まないって思えんのさ。恨んで当然じゃない」
「君はさっき言っただろう。シャドウは、娘である君を嫌って、疎んじて出ていったわけではないのは解っていると」
「向こうはそうだろうね。捨てる側は、そういう綺麗ごとで自分に言い訳がつくから。でも捨てられた側のあたしの考えは違う。お母さんの気持ちは、もう聞けないから解らないけど、自分の娘が父親に捨てられていい気がするはずはないと思う」
「捨てた、わけではないだろう。彼は仕方なく、」
「自分には親の資格がないと思って出ていった? そんなの自己満足じゃん。具体的な理由があったとか、生活が苦しかったとかですらないでしょ多分。『真人間ではないので親にはなれません』なんて、自分の心を暗いところでひっそり守りたかっただけの無責任な理屈だよ。……あたしの親だからどうっていうより、人としてどうなのよ。過去に縛られるのはそりゃ辛いだろうけど、それを理由に作った子供を丸投げしていいわけ? 後先考えずに行動して、案の定ひとりでとっとと逃げ出すのはいいわけ? 日陰者の子という汚名を着せたくなかった? 日陰者でもなんでもいいから、やったことの責任くらい取れよ」
 エドガーは口元を引き結ぶ。気づいていないわけではなかった。リルムはずっと彼の名をシャドウと呼んでいる。
 にわかに父とは呼べないのは、突然であれば仕方ないと思っていたが。
「リルム、俺は」
 つとめて抑えた声を出す。
「君が、シャドウをそんなふうに言うのを見るのは辛い」
 絵師の少女はいったん口を閉ざした。だがそれは相手の請願に応じてのものではない。呼吸を整えるためだ。
「……あたしも、シャドウも、幸せものすぎる。だからこそ不幸すぎる」
 リルムは続けた。いくぶん速度を緩めた口調で。
「いつも味方をしてくれる仲間がいるのは幸福なことだね。でも、とても褒められないことをしたのに、それを指摘してもらえないのも不幸だよ」

 このうえなく真実だった。
 沈黙するエドガーに、リルムが平坦な調子で尋ねる。
「色男がシャドウを悪く言いたくないのは、娘であるあたしに配慮してるから? それとも自分の仲間を悪く言いたくないから?」
「……どちらでもない。君がシャドウを恨んでいる、その事実が単に辛い」
「……ねえ、シャドウはさ、あたしが産まれる前まで強盗団、そのあと暗殺者だったんだよね。暗殺業はもちろんだけど、列車強盗だって誰も殺さずにできることかな。万一殺さずに済んだとしても誰ひとり傷つけずにできることかな? シャドウが襲った列車の中には、家族のために血を吐く思いで貯めた全財産を運んでいるお父さんがいたかもね。それを奪われて絶望のあまり首をくくったかもね。その被害者には娘さんがいたかもね。エドガー、その娘さんの前でもあたしに同じ言葉を言える? あいつを恨まないでやってくれって?」
 若き王は眉根を寄せた。似たような仮想はしていなくもなかった。
 でも、とエドガーは唇を噛む。今はもう帰らぬ男と、残された少女との間にせめてもの安らかな絆を願うのは、そんなにも赦されないことか。
「身勝手に生きて、自分の難しい立場は解ってるくせに女と子供つくって、それならそれで腹をくくるかと思いきややっぱり逃げ出して、いくら預け先があるといっても子供を置き去りにして何年も顧みない、そんな人間を恨んじゃいけないのかな。あたしは」
「彼は、確かに赦されない人間だ。君が彼に抱いている負の感情はもっともだ。しかし人間は弱いものだ。誰でも道を踏み外す可能性はある。だからせめて、贖罪の機会くらいはあるべきだ。彼はその機会を得ないまま逝ってしまった。得られなかったのは彼自身の弱さかも知れないが、とにかく機会のないまま逝ってしまった。だから君だけは、できればシャドウを肯定していてほしい。……しかし」
 エドガーは、自嘲を頬のあたりに貼りつかせた。
「……そう願ってしまうのは、人の心を直視できない俺の弱さだろうか」
 彼は彼で、思い起こした過去があった。『ほんとに仲のよい、なんでもそっくりの双子さんですわね』――小さいころ、王宮を訪れる賓客によく言われた言葉だ。
 にこにこと応対しながら、幼いエドガーは腹立たしくて仕方なかった。あなたにいったい何がわかるんですか。マッシュはもう僕より力が強いし、でも僕はマッシュより学問ができるのに、なんで一緒にされなきゃいけないんだ。ああ、でも弟だってほんとの馬鹿じゃない、油断してると追い抜かれて、すると僕のほうがだめな子だ。がんばらなきゃ。
 自我ゆえに競いあい、認めあうゆえに葛藤する、双子という永遠の敵。あえて距離を取ってお互いを見つめ直した結果、兄弟は愛すべき絆を築きあげた。だがそれは、2人が努力して初めて得られた結果だ。最初から何もかも上手くいったわけではない。そんな自分が、リルムに対しては『問答無用で父親を愛せ』などと言うのは傲慢に他ならない。解っている。
 だが彼女だけは。
 どうか誰も憎まず、心健やかでいてほしい。
 それは傲慢でもあったが、切なる願いでもあった。
「でも、やはり俺は……君がシャドウをそんなふうに言うのを見たくはない」
「……だろうね」
 リルムは空を見上げた。午後の晴天は、淡い雲に覆われてうっすら白い。
「そうだろうね。でも、あたしがシャドウをどう思うかは誰かに強制されることじゃないんだ。だって」
 仔犬を抱く腕にわずかに力が籠もる。

「あの人は、あたしのお父さんなんだから」

 エドガーは顔を上げた。
 少女の声はさきほどよりも明瞭だった。風にも溶けずに続く。
「あたしがシャドウをどう思うかは、あたしが自分の力で考えて、考えて、考えぬいて決めなきゃならないの。ほかの誰かに任せることじゃないの」
 そうでしょう。そういうものでしょう、家族って。
 小さな声で挟んでリルムは続けた。
「エドガーの意見は聞くよ。違った視点からは違ったものが見えるだろうから。でも、『ああ思っちゃだめだ、こう思ってくれ』なんてお願いされても、それはできない。エドガーが、あたしがシャドウを悪く言うのを見たくないとしても、それであたしの心は決められない。あたしの気持ちはあたしのものだから。……あの人は、他でもないあたしのお父さんだから」
 振り向いた少女の顔は明るくはなかった。複雑な思索が絡んでいるせいか、むしろ皮肉げでさえある。
 ただ、そこに滲む意思の色をエドガーは見た。
「あたしはシャドウを恨んでる。無責任で、身勝手で、赦せない人だと思ってる。……でも、それがシャドウって人なんだと思ってる」



 リルムは、つい数日前に起きたできごとをエドガーに話した。
 自宅の2階で絵を描いていた彼女は、水入れの汚れに気付いて新しく汲むために下に降りようとした。階段の上に立ったが、居間から漏れてきた話し声に思わず立ち止まる。
 1階にはストラゴスの茶飲み友達の、物腰やわらかな近所の小母さんが遊びにきていた。
 リルムが立ち止まったのは、彼らの話題が自分のことだったからに他ならない。

 ええ、あの子は本当に凄いものを描きますわ。得難い才能があると私も思います。
 でも経済的な成功が保証されたわけではありません。今ちょっと買い手がついていたところで、将来は解らないわ。芸術の世界っていうのは、才能が必ず成功につながるわけではないでしょう、悲しいけれど。
 ストラゴス、あなた他に身寄りもないのよね? いくら蓄えがあると言っても、人生何が起きるか解らないものよ。長患いするとお薬代もかかるし。
 リルムちゃんがもし成功しなかったら、あなたの老後の面倒は誰が見るの?
 あの子ももう12だわ、そろそろ本気で将来を考えないと。いい加減、野良仕事や商売を教えるなり、良い殿方を見つけるなりしたほうがいいんじゃないかしら……

 階段の上で、リルムは息を潜めて動けなかった。
 自分がどう思われているかを知ったからではない。小母さんは意地悪で言っているのではないと解ったからだ。当然だ、悪意などひとかけらもない。むしろストラゴスの去就に関しては、孫であるリルム以上に心配している。自分以上に祖父に親身になっている。
 ストラゴスは言葉少なに、「わしはリルムのしたいようにさせるよ」と言った。嬉しい厚意ではあったが、具体的な解決策ではなかった。
 自分がしたいことをするだけで他人が不幸になる。
 少女はこれまでその可能性を、考えてもみなかった。

 ……でも。
 リルムは自分の手指を見おろした。
 不規則な絵の具染み。爪から匂う精油。使い込まれてくたびれた絵筆。
 あたしがこれをやめる?
 自分で決めて、やめるんならともかく、誰かのために?

 ありえない。
 リルムははっきりと自覚した。
 かけがえのない、愛する祖父のためだとしても、ありえない。

 凶暴で静かな決意が、ひたひたと胸を占めるのをリルムは自覚した。
 自分で決めない限り、私はこれをやめない――



「……自分を勝手に卑下してそれで父親やめるなんて、我儘すぎる信念だよ。自分で自分に理想の枷をはめてただけだよ。そんな無責任さをあたしは赦さない。過去の闇に悩んでたんだとしても容れられない。あんたはそれだけのことをしたって言ってやりたい。でも……あの人はあたしにひとつだけ教えてくれた。自分の意志を貫くということ」
 それは方便かも知れない。自己と周囲との摩擦を、回避しているだけかも知れない。怯懦に満ちた逃げ口上かも知れない。
「でも、そういう保身を総動員してでも、あたしは絵を描くのをやめない。なんでって聞かれても困るけど、それがあたしだからやめない。人間は意志を貫くために生きていい。そう生きていいって教えてくれたのは、自分を親だと認めない信念を貫いたシャドウ。大嫌いなお父さん」
 エドガーは、その表現に笑った。
 笑っていいのだと漸く気がついた。娘が父親を大嫌いだと呼ぶのを。
「自分がしたいことをするだけで、誰かに恨まれることが多分ある。それはきっとどうしようもない。覚悟してするしかない。覚悟したら赦されるってわけじゃないけど、とにかく覚悟するしかない。……もちろん一時の快楽のためにルールを破っればしっぺ返しを食らうけど。でも、人間は、信念のために生きていいんだ。お父さんは少なくともそれだけは教えてくれた。反面教師ってやつだけどさ」
 ――彼女が、画家として大成したとき。
 エドガーはそのときを思った。とき、とは仮定ではない、未来における確定だ。
 彼女が座る椅子の下には、そこからあぶれて地を這う者たちが黒々と群がっているだろう。彼らは怨嗟の声をあげるだろう、おまえのせいで座れなかった、おまえの椅子は大きすぎる。おまえひとりが退けば何人も座れるのに。おまえのせいで職を得られなかった、おまえのせいで破滅した。おまえはそれだけのことをしたのだ。
 彼らの声を聞きながら、リルムは描くだろう。
 描きつづけるだろう、彼らに恥じぬ絵を。

 エドガーは眩しそうにリルムを見た。
 相手の視線に気づき、少女も笑った。白い頬にただよっていた影が薄れたと見えたのは、幸福な勘違いだろうか。
「……君は弁護士になれるね。どうだいひとつ、俺の専属になって裁判で一儲けしないか」
「なんないよ、弁護士なんか」
 エドガーの軽口にリルムがすまして応対する。
「それに、結婚詐欺と離婚調停の案件ばっかり扱わされるのはごめんだね」
 エドガーは反論を考えつつ、結っている髪を掻きあげた。そこで初めて自分の服装に気づく。寸前まで機械いじりをしていた格好のまま、取るもの取りあえず出てきたので冴えない格好だ。仕立てはよいが着古したシャツに厚手のワークパンツ。これでは色男としての面目が立たない。
「……シャドウについて、俺からの視点で補足させてくれ」
 せめてひとつ格好をつけておこう、とフィガロ王は口角を上げる。むろん動機は自己主張のみではない、これだけは伝えたいからだ。
「肩を並べて闘い、君に財産を残した、その過程を見守った者として断言する。あの男は交際した女性や授かった子供に、独占欲……というと一方的に聞こえるかな、少なくともなんらかの執着を覚えていたはずだ。見栄や綺麗ごとではなく。だってその女性や子供は、自分が誰かに受け入れてもらえた証だったのだから」
 黙っている少女に、今度は臆せずエドガーは続けた。
「シャドウはその証明を、幸福を、振り切って出ていった。信念を貫くために執着を葬ったんだ。責任の放棄は確かだが、なかなかできる選択ではない。正しい行動だとは思わないが、意志の強さだけは厄介なまでに見事だった。……それがシャドウという人物だったと思う」
 肩に手を置こうとして、寸前で思い留まった。
 父親という存在について語っていることが主な理由だ。
「彼の強さは、君に受け継がれていると思うよ」
 リルムの腕の中で、黒い仔犬が短い首を伸ばして欠伸をした。
 ちっぽけな獣を見つめる彼女の横顔は、ただ静謐で、今はそれで十分だった。



「……おおい……」
 遠くからの声に2人は振り向いた。
 何人かの男女が、この高台に続く斜面を連れだって登ってくる。
 リルムからの手紙を受けとったときちょうど身体が空いており、すぐサマサに駆けつけられた第一陣の面々だった。先頭にいるカイエン、隣に小走りのガウ。髪を下ろしてエプロン姿のティナ、全員を運んできたらしいセッツァー。ここからでも張りつめた表情が窺えるセリス。
「本当に全員に伝えたんだな。手紙にもそう書いてはあったけど」
 手を振りながら、エドガーは小声で訊いた。繊細な問題なので、打ち明けるにも抵抗があっておかしくないと思っていたのだ。
「単純に、みんな知っておきたいだろうと思ったから。そしてあたしも知りたいから。シャドウのこと」
 片手で帽子の位置を直しながらリルムは言った。
「知るところから始めるよ。シャドウが、お父さんがどんな人だったのか。みんなとどんな話をして、どんな顔を見せていたのか。……なんで、最期にいなくなったのか。たっぷり聞き終わったらここに名前を彫るよ。『シャドウ、そしてクライド』ってね」
 腰を屈めて、インターセプターの墓標の、名前が書かれているスペースの隣をこんこんと指で示す。
「……ただでも小さい犬の墓が、ずいぶん窮屈になると思うんだが」
「窮屈ではみ出した分は、じゃあそのへんをうろうろしてればいいんだよ」
 言い残してサマサの絵師は、一行を迎えるためゆっくりと斜面を下りてゆく。
 なるほどとエドガーは空を見透かした。今もそのへんをうろうろしているのだとしたら、つい先程、肩に手を置こうとして止めておいたのは正解だ。
 もっとも、いつまでも遠慮している気はないが。

 午後の晴天の色は、淡く、甘く、思い出話をするには良い日だった。



Fin.








シャドウには同情の余地もあれば容認しがたい部分もあり……その人間臭さがそもそもFF6かと考えつつ。

2012/07/06