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 天を刺す槍の穂先のような塔に、竜が、中空から舞い降りた。

 どう、と巨翼の起こす風が壁を打つ。
 太い丸太も一掴みで折り潰せる手が、瓦を押し割りながら屋根を鷲掴みにする。想定外の重量を負わされた梁が、大きくたわみ、めりめりと悲鳴を上げる。
 自室の窓から一部始終を見守っていたユリシュカは、溜息をついて長椅子から立ち上がった。
 窓から身を乗り出し、外へと語りかける。
「……あまり城を壊さないでちょうだい」
「これ以上は加減してやれん」
 塔の屋根に器用に取りつき、長い尾を巻きつけながら、竜は遠雷のような声で言った。

 女王の自室は、王城の最上階にある。
 部屋の窓からは、城に併設された、さまざまな建物の屋根が見える。中でも一番近くに建っているのは、本棟に建て増しされた形でそびえている東の塔だ。昔はよく、尖鋭な影に見え隠れする月を愛でながら、夜通し本を読んだものだった。
 竜は、その塔をお気に入りの休憩場所にしたらしい。
 そこから巨体にふさわしい長い首を延べれば、自室にいる女王とは、簡単に窓越しに会話ができてしまう。
 通常なら、王との会見を望むものはまず拝謁の間に通される。王付きの侍女も、入室時にはもちろん声掛けをする。御典医だけは別だが、これは至急のときだけだ。
 自室での時間、いわば私人としての時間を過ごしている女王に、先触れなく勝手に逢いに来られるのは――唯一、この竜だけだった。

「最近はよく、地下から出てくるのね……」
 女王は、眼下に広がる前庭から正門、さらにその前にある城下の大通りを見ながら、竜に語りかけた。
 ここからでは距離が遠く、通りを行き交う人々は小指ほどの大きさにしか見えない。それでも何人かの通行人が、足を留めてこちらを指差しているのは判別できる。
 見慣れたお城の塔にぐるりと巻きついている、恐ろしい化け物の姿が、彼らからもよく見えるのだろう。
「竜は見逃したくないのだよ。おまえが次はなにを想い、どう動くのかを」
 曇天の空を見上げつつ、巨大な妖が言う。長い首の描く曲線は、まるで雲に掛かる橋のようだ。
「なにしろこの国の王族との契約は、長い間、形骸化していたからな」

 ……女王ユリシュカの治める小国の名はジルゼーチェといい、民はジルゼシアンと呼ばれた。
 王城地下に棲まう、護竜の存在。それは秘して隠されたものではない。ジルゼーチェの民はみな、彼の存在を心得ている。もっとも、『国を護ってもらう代償に、王は自身の生きざまによる物語を支払う』という具体的な仕組みだけは、王とその継承者のみに伝えられる国秘とされていた。国民たちはせいぜい、『うちの王様は竜と知己だが、あれは気まぐれで、頼みごとをするのは難しいらしい』という認識に留まっている。
 今日のように竜が城下の空を翔け、衆目に姿を晒すことも、稀ではあるが皆無ではない。ひとたび山野に降り立ち、鹿や猪などを屠れば、その様子を目撃した猟師はかの生物の凄まじさを長いあいだ語り伝える。竜の雄姿に惚れこんだ画家・詩人などの芸術家一派が、ジルゼーチェに移り住み、暇さえあれば城の周囲を熱心に観測していることもよく知られている。

 だが言ってしまえば、それだけだ。「国を守護する竜」ときけば頼もしいが、実際にはこの一〇〇年、竜が起こした行動は皆無だったといっていい。
 ジルゼーチェの歴史書をひも解けば、一〇〇年前の乱世のころには、竜と取引を交わした王の存在は確かに認められる。だが具体的な内容をくわしく記した文献は少ない。国秘ゆえに、詳細な記述を残すことが憚られているのだ。
 『器楽を愛したやさしい王は、ひとり息子への思いのたけを物語にして竜に捧げ、愛息の救済を請うた』――『ある豪傑の王は、一騎当千の英雄譚を約束し、戦の勝利を竜に願った』。わずかな文献と父の口伝から、そういったいくつかの例をユリシュカは知った。だが、どれも伝説じみており、いまいち不明瞭にすぎる。長い年月のうちに情報が薄れていったらしい。
 ただ、かつて竜が諸外国を退けたことによって、ジルゼーチェに当面の平穏が約束されたのは事実らしかった。相手が竜の脅威に怯んでいる間に、ゆっくり傷を癒す時間が与えられたのだ。戦の混乱にもめげず、この小国が生き残っているところを見ると、史書や口伝もまったくの嘘ではないのだろう。

 しかし、引き続き史書をめくれば当然窺えるように、一〇〇年の時間の流れは同時に、人間たちの精神的成長をも促していた。竜によって与えられた休息のあいだに、ジルゼーチェの民は国力とともに自意識も形成させていったのだ――人間の国は、できれば人間の力だけで治めたい。
 国境の障壁が完成し、人口が増え、戦の技術も発達した。最大の脅威であった異民族も、次第に人間の力だけで追い払えるようになりつつあったのだ。近年になって増加に転じてはいるが、長い間、戦乱自体が減っていたこともある。

 そもそも、無双の力を誇るとはいえ、実際のところ竜は扱いやすい隣人とは思えなかった。面白い『物語』を提供しろというが、果たしてそれは必要なときに都合よく提供できるものなのか? 基準の曖昧な要求は、それを叶えるための手段も曖昧だ。あるいは、竜の力をあてにしていたのに、もし面白くないと難癖を付けられたら?
 竜に、愛国心は期待できない。人間が蟻の巣にいちいち介入しないように、竜も、報酬が得られないかぎりは人間の営みなどにいちいち介入しない。もし、戦乱でこの国が滅ぼされたとしても、竜としては新しい征服者と契約を結ぶだけのことだ。棲息場所としての同地を確保できればそれで良し、新参者どもが竜を軽んずるなら、少々燃やしてやればいいだけのこと。国民たちも、竜とはそういうものだと予め承知している。
 ……時代が進むうちに、この国の政治が、竜の助力をあてにしない方向へ発展していったのは当然の流れだった。

 かくして現在、ジルゼーチェの竜は『護竜』という名こそ持ってはいるが、ごく儀礼的な存在と化している。契約は継続しているものの、有名無実となって久しい。
 自然、王家と竜との関係も、形式的なものへと変わっていった。畏敬の念こそ失われてはいないが、それは長くこの土地に棲んでいる偉大な生物の、人心を捉える神秘性に捧げられたものにすぎない。
 竜は気侭に歳月を生き、人はときにその姿に驚嘆しつつも日々の生計に忙しい。竜はあくまでも深遠の地下か、遥かな天上におわし、地上の浮世と影響しあうことはない。
 『奔放かつ不動』とのみ認識された、強力無比の化け物。いわば、高い所に飾ってあるだけの有難い護符のようなものだ。「うちの国には竜がいるぞ」という文句は、余所者に対してのお里自慢にはなったが、度合いとしては「うちの国では珍しい果物が成るぞ」という自慢とあまり差はなかった。
 それだけのことだ。それだけのことだったのだ――少し前までは。

 女王は、城門前の大通りに、再び視線を移した。
 ひとりひとりは小さい民衆たちが、次第に集まり、黒山の人だかりを築きはじめている。みな竜を見たがり、よく見える位置を争って押しあいへしあいしている。混雑のせいで通行も滞りはじめているようだ。
 立ち並ぶ商店の、屋根の上にまで人々は登っている。そこからなら竜の御姿がより近しく拝めるというわけだ。しきりに手をふり、何か声も上げている。聞き取れないが、竜を讃える内容であるのには違いない。
 小さく見える人々の、それよりさらに小さく見えるものは、膝まづいて祈っている女たちだろう。護国の竜さま、うちの夫や息子を救ってくれて有難う、と。

 女王は思い起こす。1週間ほど前、国境付近の高原で行われた戦を。
 自然岩で築かれた城砦から、ユリシュカは遠眼鏡を覗いた。じりじりと迫りくる『馬喰い』ども――ジルゼーチェの民は、東方人のことをしばしば侮蔑をこめてそう呼んだ――の軍装を確認する。やはり、東方民族の中ではあまり地位の高くない、雑多な小部族たちの混成部隊だ。ジルゼーチェの献上する女と食料の分け前に預かれない奴らが、また簒奪にやってくる。
 女王のその視界が、紅蓮の色に染まるところから、惨劇は始まった。
 今日こそはかの地を陥落せんと、障壁めざして馬を駆っていた敵兵どもの先陣は、何が起きたか理解できぬまま真っ黒に炭化した。だが、その後ろを走っていた騎馬たちのほうが悲惨だったろう。一息に焦げるほどの熱量は浴びられず、しかし火だるまになるには十分な炎の滝をまともに受け、生物とも思えぬ奇声を発しながら斜面を転がっていったのだから。
 逆光の空から降り立つ、凶々しい異形の姿を、彼らは声もなく見た。
 口と鼻から煙を吹きながら、竜はぐいと口角を上げる。乱杭の牙が、ぞろりと覗く。威嚇なのか、不敵な笑みなのか、遠眼鏡で見ている女王にはやはり解らない。
 恐怖すら覚えること適わず、敵兵たちは唖然と棒立ちになる。脳が、目の前の出来事に対応しきれていない。彼らの跨っている馬のほうがまだ反応が早かった。本能に従い、ぴったり耳を伏せて後じさる。次の号令が遅ければ、大半の馬は勝手に逃げだしていただろう。
 驚愕を振り切って怒号を発したのは、さすがは名だたる東方民の将軍だといえたかも知れない。彼は、彼らの言葉で兵を叱咤した。恐れるな! 今日は我らの本懐のときなのだぞ。
 将の言葉に鞭打たれ、気のふれたような叫声と共に、彼らは竜に踊りかかる。
 だが、それは蛮勇でしかなかった。
 きん、きん、と変に澄んだ音が響く。鋼よりも硬い鱗は、槍や剣の斬撃をものともしない。竜は、ひとたび翼を打ちあわせ、逞しい四肢で地を蹴って急に突進しはじめた。地響きに混じり、どちゃどちゃ生々しい音がする。逃げる間もなく兵士たちが踏み潰されてゆく音だ。
 ごおと竜が吼え、また火炎の奔流が渦を巻いた。弓兵たちが、つがえていた矢の照準を慌てて上に引き上げたが、分厚い片翼が彼らを薙ぎ倒した。前肢の爪を横に振るえば、たちまち、切り口の汚い下半身だけの立像がいくつも出来上がった。
 もはや戦いとも呼べない。ただそれは、児戯のような破壊だった。

 様子を見守っていた女王は、青白い頬をさすりつつ、遠眼鏡を外した。
 最後まで見る必要はない。特徴的な頭飾りをつけていた敵の将軍が、すでに死亡したことは確認してある。皮肉にも彼は、竜にすら倒されていなかった。逃げ惑う同胞のあおりを食って、まずい体勢で落馬し、そのまま自らの馬に頭蓋をこなごなに蹴り砕かれたのだ。
 女王は、くらくらと眩暈を覚えた。今しがた見せられた、人間の燃える色、引きちぎられた色、身体の内容物の色が脳裏にたゆたう。気分が悪かった。できることならば吐きたかった。
 だが、彼女にはまだ仕事があった。
 背筋を伸ばし、胸を張る。できるだけ威厳を保ちながら、臣下に告げる。
「我らの勝利だ。市街で待つ人民たちに、偉大なる竜に万謝せよと伝えよ。急ぎ凱旋行進の準備に取りかかれ。……ああ、その前に」
 今思いついたように、ふと顎に指をあて、微笑みを浮かべて見せる。
「『馬喰い』どもの首を狩って、持ち帰れ。城門に並べねばならぬ」

 伝えられた勝利に、国民は熱狂した。なにしろ当方は一人の命も失われていないのだ。
 竜の偉業が、国の広報や、実際に目撃した兵士たちによって口々に伝えられる。誇張をする必要はなかった。事実を述べるだけで十分すぎる逆転劇だ。
 竜を讃え、崇める声が国中に巻き起こる。今までも畏るべき象徴ではあったのだが、自分たちとは基本的にかかわりのない、雲の上の存在だった。しかし改めて知るその威力は、それが味方であるという心強さとともに、人々を心の底から感服させた。
 創作意欲を向けるモチーフとして、長らく竜を描いてきた画家や詩人たちは、今こそ訪れた評価のときに胸を張った。竜の絵姿を買い求め、家に飾りたがる者が増えたのだ。詩集もおなじことで、裕福な家庭や貴族の人々に飛ぶように売れた。
 にわかに竜の支持者が溢れ、その姿を拝みたいと王城を眺めて暮らす者も増えた。たまたま姿を見ることが適った者は、当分のあいだ、それを触れまわって過ごした。

「……あなたは、なぜ長い間、何もしてこなかったの」
 女王は、遥か下方の群集たちを見やりつつ、竜に尋ねた。
 あの騒動については心配ない。じき衛兵が出動し、人々を散らして交通整理をしてくれるだろう。もはや彼らにとっても慣れた仕事だ。
「あなたには、人からの賞賛など関係ないでしょうけど……面白い物語に興味があるのなら、どうして積極的に人の世に関わってこなかったの。そうすれば、もっといろいろな出来事を楽しめたでしょうに」
 女王は己の義務として、自国の歴史を学んでいる。今回の侵攻は確かに一大事だったが、比較的平穏とされていた先代までの世にも、何もなかったわけではない。
 祖父の時代に頻発した小叛乱。城にまで飛び火して甚大な被害を出した王都の大火。いずれの場合も、竜が何か行動を起こしたという記録は見られなかった。山の頂から悠然と見物していただけだ、と古老たちからも聞いている。竜はそれらにつけこんで、時の王に「助けてやるから何か面白いことをして見せろ」とは要求しなかったのだろうか?
「己で引き起こすものは、物語とは呼べぬだろう、女王」
 塔の屋根に取りついている竜は、翼だけで伸びをするように、両翼を大きく水平に広げた。
「この年月、いささか退屈ではあったさ。だが物語にも作法というものがある。人が苦しみ、迷い、その迷いを自ら打ち破って助けを乞うからこそ物語になるのだ。おまえがあの日、古い契約を思い出して地下に降りてきたようにな。竜の立場から、『ぜひ頼りにこい』と唆すのではつまらん。竜に言われて仕方なくやった、という言い訳を与えてしまうことにもなる」
 相手の言に、女王は俯いて納得した。確かにそうだ。
 竜は、どうにもならない現実に人が足掻く姿を『物語』として楽しむらしい。この一〇〇年弱、国を守護する竜が何もしてこなかったのは、人間が竜に依存せずともなんとかやってこれたからだ。事実、かつての叛乱も大火も、どうにか人の手で解決できている。
 瞳を伏せ、物憂げな様子で窓辺に立つユリシュカに、竜はふと顔を向けた。
 縦長の瞳孔の奥にちらりと金色が煌き、その光はまっすぐに女王の姿を捉える。
「……何か?」
「竜には、おまえが何を思い悩んでいるのか、大体の想像はついているぞ」
 葉ずれのような声で、少し思わせぶりに言う。
「先代までの王は、人間の力でものごとを解決してきたのに、自分は竜などに頼ってしまった。自分はなんと情けない王なのだろう――とな」
 琥珀の瞳を細め、喉の奥を低く鳴らす。人間でいえばからかいの表情なのだろう。
「案ずるな。此度のことは、かつての乱世にも匹敵する大きな危機であったのは事実だよ。東方の民どもは、少し前までは攻勢を弱めていたのだろう? それは、かつて戦わされた竜の恐ろしさに萎縮していたからだ。おまえの父の代にそれを忘れはじめ、おまえの代になっていよいよつけあがった、それだけのことよ」
 ……そうかも知れない、とは女王は思う。なにしろ相手は他ならぬ竜だ。かつてはただ存在するだけで、多少の抑止力になっていた。
 だが、大きな戦のない穏やかな年月を重ねてゆくうちに、国内でも国外でも、竜はむしろ『所詮は動かぬ存在』と認識されるようになってしまった。だから異民族たちは、近年になって過去以上の強攻を仕掛けてきたのだ。もし竜が動いたらどうなるか、という恐怖を忘れていたからこそ。
 ひゅう、と中空で、風が渦を巻いた。
 城の庭木がざわめき、池にさざ波が立つ。その余波は女王の部屋まで辿りつき、わずかに彼女の黒髪を乱す。
 ユリシュカは黙ったまま横を向き、室内に設えられた飾り棚に近づいた。色石のついた銀細工の髪留めをとり、手早く髪を結い上げる。
 視界が明瞭になったところで、きっぱりと顔を上げ、話題を変えることを決意する。たとえ事実がどうであれ、竜の言葉に甘えたくはなかった。
「……乱世の時代の王の話を聞きたいわ、竜」
 振り向いて、厳かさを意識した口調で言う。
「父や祖父からも大まかに聞いてはいるけれど、詳しく知っておきたいの。あなたの助力を得るために、これまでどんな王が、どんな物語を捧げてきたのか」
 竜は、思案するように頭を傾けた。前肢の位置を組みかえ、彼女と対話しやすいように姿勢を直す。太い指の間から、割れた瓦ががらがらと落ちる。
「そうさな、おまえ好みの話を探してやるならば……」
 しかしそこで、女王の部屋の扉に付けられた小鐘が、りん、と鳴った。
 貴人が部屋で休んでいるときに注意を促す鐘だ。少々の間をおいて、侍女が扉の向こうから、口早に声を掛ける。
「失礼致します、陛下。お寛ぎの時間に申し訳ありません」
「何だ」
 女王は、女王としての声色で聞き返す。
「ソナンザの子爵様がお見えになりました。――ご予定にはありませんが、お近くに寄られたとのことなので」
 報告を受けた瞬間、彼女の表情に、ある色彩が弾けた。
 それは若い喜びの色であり、愛らしい羞恥の色であり、そしてなによりも少女の色だ。
「すぐに行く」
 短く返答するやいなや、女王は、急いで化粧台のそばに駆けよった。手鏡を取り上げて髪型を見ようとして、さっき結い上げたばかりだと思い直す。部屋着というほど気の抜けた格好ではないが、そのまま恋人に逢える格好ではない。衣類掛けから手早く上着を選び、下がりのついたブローチで前を留める。もう一度手鏡を取り上げ、わずかな化粧を直す。
「ごめんなさい。話はまた、別の機会に」
 屋根の上の化け物に言い残して、女王は振り返ることなく、急ぎ退出してゆく。

 ひとり残された竜は、天を仰ぎ、何事か得心して頷いた。
 求めに応じて話してやろうかと思ったが、考えてみれば、話さずにおくほうがよいだろう。器楽を愛したやさしい王が、ひとり息子が難病に蝕まれたとき一体どうしたか。子供じみた欲求を叶えるために、一騎当千の英雄譚を竜に約束して意気揚々と出陣した王が、帰城して見たものは何か。
 もろもろの人間たちの、決意の物語、愚かしい物語。こちらから教えてしまっては、この先の女王の行動を誘導することになってしまうかもしれない。

 下方に眼をやれば、王宮の前庭で女王を待ち望んでいるのは、金にも近いやわらかな砂色の髪をもつ青年だ。
 国内に広大な荘園を持つ貴族、ソナンザ家の三男だった。幼少より女王と婚約し、それを互いに満足しあっている。結婚が手段でしかない王侯にあって、引き合わされた相手と気性が合い、尊重しあえる愛情を育みつつあることは幸福な奇跡だ。
 ほどなく、女王も庭に現れた。2つの人影が駆けよりあう足取りは軽い。恋人たちは軽く抱き合ったあと、連れ立って歩きはじめる。アーモンドの木陰に座り、そっと肩を寄せあう。
 その構図は瑞々しい微笑ましさに満ち、見るものの胸を暖かくさせる――見るものが、人であったならば。

 何者にも届かぬ高みから、人ならぬ竜は、老いた鳥のような声で嗤った。






2010/10/01  初版
2011/10/16  改定


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