「……どうして私が」
 女の声は平坦で素っ気なかった。
「そんなことをしなくちゃ、ならないのよ」
 だが極端に装った無感情は、むしろそこに隠された動揺を意味する。気配を探知する異能をもつ男が見逃すはずもない。
「なにを重く考えている?」
 ザトーはわざと勿体ぶった口調で返した。こんな彼女を見るのは初めてだがとても愉しい。
「こういう場合、女性を同伴していくのが慣例だ。主催がひとり身では格好がつかん」
「なら私じゃなくても、誰でもいいでしょう」
「誰でもいいのなら、おまえでもいいはずだ」
 駆け引きを面白がる様子の相手に、ミリアは忌々しげな顔でそっぽを向いた。

 祝賀会があるという。ザトーが頭領として出席する正式なものだ。
 この組織とドラッグの一大バイヤー集団とが、結託して取り組んだある仕事で、国際警察の裏をかくことに成功した。長年の仇敵に一泡吹かせてやれたうえに、利益と功名も同時に得た両組織の頭は上機嫌だった。これを足がかりに、同盟関係を結んでおいて損はないと踏んだ彼らはパーティを主催した。
 ミリアはそれに同伴しろと言われたのだ。もちろん夜会に相応しい格好で。
「今やおまえの実力は、私についで2番目の地位にある」
 ザトーは穏やかな声で諭した。
「この機会に有望な部下を紹介しておけば、今後の展望を買われて、次々と良い仕事が入ってくる。違うか?」
 犯罪の仲介をさせたいってわけね。ミリアは心中で苦々しく吐き棄てた。眉間に指をあてて考えこみ、ともかく断る理由を探す。
「……正式なお誘いだとしたら、女性には断る権利もあるはずよ。それともこれは命令?」
「なんなら、きちんと招待状を出してもいい」
 馬鹿にされていると思い、凍てつくような視線を男に送る。だがザトーは生真面目な顔をしている。冗談を言ったわけでもないらしい。
 気が抜けてしまったミリアは呻きに似た溜息をついた。断られる予定が完全に存在しないというのは、上から命令されるよりも性質が悪い。
「好きなドレスを選べ。すぐに作らせる」
 ザトーはデスクから、品のいい革張りの冊子を取りあげて渡す。一流店が上客にのみ配布する、オーダーメイド用デザインカタログだ。受けとったミリアはページを繰り、ひととおり眼を通しただけであっと言う間に決めた。
「これにするわ」
 ザトーは受け取り、ページに指を走らせる。光を失って以来、常人には計り知れない感覚世界を彼は持ちえていた。
 わずかな大気の対流を感じとることで物体の位置を察知し、大きさや質感を把握する。影を通して電気信号に変換された色彩や光量の知覚を、脳裏でじかに受け止める。その影が伝えてきた、ミリアの選んだドレスは……黒づくめだった。
 襟元がきっちり詰まった、極端にシンプルなデザインだ。厳格さは感じられるが晴れ着にしては妙に野暮ったい。
 ふと思い至って、ページの見出しを確認する。式典用の衣装とはいえ、それは喪服のページだった。
 つんとして横を向いたまま彼の美しい部下は言う。
「それでいいんなら、出てあげてもいいけど」
「ふむ」
 意味深な表情を作る男を見咎めてミリアが聞く。
「……何よ」
「私が選んだのはこれだ」
 男性用ドレススーツの載っているページを開いて指し示す。黒づくめで襟元の詰まった、ストイックな雰囲気のスーツだ。彼の好みを考えれば頷けるものだったが。
「おまえの選んだ『ドレス』と、揃いに見えなくもないな?」
 有名店のトップデザイナーが手掛けるカタログなのだから、いくらか似通ったデザインが載っていても当然ではあるが、ミリアはものすごい勢いでカタログをひったくった。
 今度はもう少し、時間をかけて選びなおす。
「……こっちにするわ」
 今度は真白のドレスだった。装飾は控えめだが、開きかけた花の蕾を思わせる高潔なシルエットで、ミリアには似合いそうだ。ザトーは満足してカタログを受け取った。
 疲れきった表情で出ていく女を、部屋の主は余人には見せない表情で見送る。
 ザトーは本当は、こういった華やかな場所はあまり得意ではなかった。力の象徴と思えば誇らしくはなるが、しがらみや根回しの苦労を思うと面倒臭さが先に立つ。叩き上げで長く過ごしてきた現場の空気とは違いすぎて落ち着かない。
 だが、今回は。
 デスクについた彼は手始めに、早速ドレスの業者へと連絡を入れた。



 祝賀会の前日。
 ザトーは花を選んでいた。
 主賓は胸に花を飾るものだ。こちらの趣味を聞きつけた向こうの頭が、「自分と妻に相応しい花をみつくろってくれ」と打診してきた。気を利かせたつもりなのだろう。
 趣味として嗜んでいるのは花言葉だが、花そのものも知らないわけではない。ザトーは引き受けた。代わりに酒家で知られる相手に、「この友愛の宴に供する記念の一本を選んでくれ」と返事を書く。ごますりにはごますりで返さねばならない。これも仕事かとザトーは自嘲気味に笑い、花の注文書をめくった。
 相手のペアの花はすぐに決まった。男性にはアザレア、女性には白の牡丹。
 前者は胸に挿す花としては少し変わり種だ。だがありきたりな薔薇や洋蘭では芸がない。八重咲きのものをコサージュに仕立てれば、派手好みの相手も気に入ると思われた。もっとも、実は『禁酒』という花言葉を決め手にこの花を選んだのだが。
 牡丹のほうの花言葉は『富貴』。男性のスーツは大抵ダークカラーだが、女性のドレスの色は千差万別だ。変な色合わせになっては困るので、色は何にでも合うよう白にしておいた。
 しかし、こちらの花を選ぶ番になってザトーは迷いはじめた。
 ミリアや自分に似合う花……それはどれだろう? 常ならば装飾品として気負いなく着けていたが、色や花言葉を念頭に置く、ということを意識したせいで迷いはじめた。自分で自分を飾るものを選ぶこと自体、おこがましく思えてくる。だが、そんなことを疑いだしてはきりがない。とにかく服に合うかどうかを主体に選ぼう。
 自分の花は、くちなしにしておいた。奇をてらいすぎず俗すぎずといった選択だ。花言葉も『私は幸福』と無難である。
 ミリアの方はと注文書をめくろうとして、彼はふと、ある花の名に指を留めた。
 ラナンキュラス。
 細かい花弁が幾重にもつらなった、華やかで愛らしい金鳳花の一種だ。それは覚えている。……だが、とザトーは舌打ちする。
 …………花言葉は何だった?
 俯いて集中し、記憶の浮上を試みる。この花に限って思い出せない。
 試しにそのページにある、他の花の言葉を諳んじて見たが、全部すらすらと出てくる。なのにラナンキュラスの言葉だけがなぜか浮かんでこない。
 しばらく粘ってはみたが、諦めてザトーは立ち上がった。その足で、個人的な本棚の置いてある私室に向かう。すぐ確認しておかないと落ち着かない。
 ノブに手をかけたところで、しかし男は足を止めた。
 ミリアの選んだドレスを思い起こす。あの高潔な白に、主張の強いこの花はいかにも似合うように思われた。
 くるりと踵を返し、再びデスクへと戻る。注文書を取り上げて、ラナンキュラスの欄に丸をつけ、改めてその名を眺める。どんな言葉が背負わされているか知らぬまま身に纏うのも、考えてみれば一興だ。そこには謎掛けのような、隠されたドラマを想像する楽しみがある。
 自分の思いつきを少し自賛しつつ、ザトーは注文書を手に執務室を後にした。

 前日の夜。
 ミリアは髪を梳いていた。
 部屋に備えつけられた鏡台の前で、軽く頭を振る。このところくだらない用事が多くて疲れてしまった。仕立て屋がやってきて忙しなく身体中の寸法を測り、何足もの靴を履かせては脱がせる。そうかと思えば若い美容師が、香水はどうのアクセサリーはどうのと薦めてくる。どれでもいいわと答えると、何を恥ずかしがっているのと笑われた。
 綺麗なものを見るのは嫌いではない。だが、それを身に着けることに何の意味があるのかよく解らない。むしろ、とミリアは思う。綺麗なものは眼に見えるからこそ楽しいのだ。自分で着てしまったらよく見えないではないか。
 そう口に出したら、変な顔をされたあげく、また笑われた。
 ミリアはクローゼットの扉を見た。ドレスが吊るされている。滝のように白く流れる布地は上質の正絹、ほのかな光沢を帯びたオーガンジー織だ。真珠めいた神秘的な偏光をちらちら降らせつつ、ひっそりと明日の出番を待っている。
 素敵だなと思う。良いものだなとも思う。
 ただ、それで身を包むことの意味が、やはりぴんと来なかった。
 ミリアは鏡に向きなおる。意味の感じられないことはつまらないが、下らない奴らに後ろ指をさされるのはもっとつまらない。体裁などはどうでもいいが、注目されるのは厄介だ。最低限の身だしなみは整えておいたほうがいいだろう。
 あのドレスにはどういう髪型が合うのか? そう軽く考えただけで、肩につくほどもなかった髪はふわりと腰まで流れる。もう少し短く、広がりを抑えて。毛先には緩やかにうねりを付けて。移り変わるイメージに合わせ、鏡の中の金糸は自在に形を変える。
 しかし、これが一般的かと当たりをつけたところで……ミリアはふと口元を曲げた。
 自分にこんな作業を強いている張本人の顔が脳裏をかすめたのだ。
 ドレスや靴やアクセサリーはお仕着せだと言い訳できるが、この呪われた髪に限っては、自分の意思で形を変えるものだ。いつもと違う髪型の自分を見てザトーはどう思うだろう? けなげに準備をしていたかのように、さもこの日が特別であるかのように思われては堪らない。
 髪を瞬時に元の形に収め、彼女は立ち上がった。明日はいつもどおりの型で行こう。
 そう決めてしまえば、もう考えることは何もない。さっさと灯りを消してベッドに入る。シーツの中で伸びをすると、急激に瞼が重くなった。
 自分がこうも気を遣い、疲弊している逆説的な理由を自覚しないまま、ミリアはほどなく眠りに落ちた。



 ドアを開けてするりと入ってきた姿に、彼は思わず動きを止めた。
「………………何よ」
「……いや」
 たっぷり十数秒が経ってからの相手の問いかけに、ザトーはやっと我に返る。
 ドアの前には、純白で着飾った少女がぎこちなく立っていた。
「……何を、変な顔してるの」
 そう言われて、無意識のうちに顔がほころんでいたことに気づく。ミリアはいたたまれないような、不機嫌になろうとして失敗したような微妙な表情だ。さざめく感情に揺れるその様子もまた、ザトーを喜ばせた。
「別に何も。……こちらに来い」
 デスクの上に置かれた優美な小物を取りあげる。今しがた花屋が届けにきた、胸に付けられるコサージュとしてアレンジされた生花だ。
 淡紅のラナンキュラスをドレスの胸元に当て、付ける位置を確認する。
「自分で付けられるわ、花くらい」
「いいから任せろ。自分では最適のバランスが解らないだろう」
 ミリアは溜息をついて身を固くした。それもこれも今日限りの辛抱だ。
「まったく……後悔など、する気はなかったのだがな」
 真鍮のピンで花を固定しながらザトーが漏らす。意味がつかめずミリアは聞き返した。
「何の話?」
「……自分の眼で、おまえを見られないという話だ」
「……今さら何を言ってるの」
 口調から嫌悪を隠しきらずに言う。
「見えなくても手に取るように解るんでしょう。その、すてきな力のおかげで」
「その通りだ」
 ザトーは低く返した。
「造形も色彩も認識できる。情報量は常人と変わらない。生物の気配を窺う能力に関しては、むしろ人の眼など及ばない」
 なら良いじゃないの。言いかけて彼女は口を噤んだ。
 口元を引き締めた相手の表情に何かを見て。
「……だがそれは、情報として読み取るだけだ」
 ザトーの声はさらに低かった。
「頭の中で、色と形を組み合わせた具象物を理解するだけだ。解ることと感じることは違う。私には、今日のおまえの服装も表情も完全に把握できる。……だからこそ」
 ザトーの手がつと上がる。
 立ちつくすミリアの髪を、少し冷たくて長い男の指がゆるく掻き上げる。
「…………感じきれない、本当のおまえが口惜しい」
 指の隙間からさらさらと金糸がこぼれる。
 男のくせにきれいな指。そう思ってしまってから、彼女は慌てて思考を引っこめた。
「つまらん話をしたな」
 唇の端に苦笑をひらめかせてザトーは手を引く。本当ね、つまらないわ、と口の中で曖昧に言い返しながら、ミリアは反応に困って下を向く。落とした視線の先に、すいと大輪の白いくちなしが差し出された。
「私の花だ。付けてくれ」
 手のひらに落とされた花は、繊細な甘い香りがした。
 頭のてっぺんにでも挿してやろうかと考えながら、ミリアは今日のザトーの格好を改めて眺める。凛とした黒いスーツに白絹の手袋。上着は仕立てがよく、鍛えられた身体のシルエットを瀟洒に見せるデザインだ。長い金髪と眼帯が、禁欲的な装いに謎めいた彩りを添えている。
 正直に言ってしまえば、少しだけ見惚れた。
「……あなたって、こういう格好、似合うのね」
「ほう?」
 珍しいことを耳にしたと言いたげにザトーが聞き返す。
「褒めて頂けたと取っていいのかな?」
「黙って立ってればの話よ」
「それはお互い様ということにしておこうか」
 むっつりと口を閉ざして、ミリアは花を付け終わった。ザトーが柔らかく促す。
「行くぞ。もう馬車は待っている」

 何十分か馬車に揺られ、会場近くの通りで2人は降りた。
 今宵の祝賀会が開かれるのは、ある貴族の所有するカントリーハウスだ。門前に立つ守衛人に招待状を見せ、広大な敷地の中に入ったあとは、プロムナードの石畳を歩いてゆく。辺りは夕闇に覆われはじめ、案内灯がひとつ、またひとつと順に点ってゆく。
 数歩ほど先を歩いていたザトーが、ふと立ち止まった。
 つられて立ち止まるミリアに横顔を向け、軽く肘を突き出す。
「……?」
 きょとんとしてミリアはザトーの顔を見る。
 意味が解らず、ただ何事かと眼で問いかける彼女を見て、裏社会の重鎮たるアサシン組織の頭領は、気まずいような眩しいような表情をした。
「……男がこうしたときは」
 ミリアの腕をとり、自分の肘にからめさせる。
「こうするものだ」
 その形のまま歩き出されて、やっと理解する。腕を組むことを誘うエスコートの動作だったのだ。
 慌てて振り払おうとしたがもう遅い。周囲にはすでに、宴に出席するらしき着飾ったお歴々が集まりはじめている。皆、今夜の主賓であるザトーにお近づきの挨拶をする好機を窺いはじめている。この男の隣にいるだけで面倒なのに、悪目立ちするわけにはいかない。
 仕方が、ない。
 見るものすべてを威嚇するような表情で、ミリアは不本意な道行きに踏み出した。その様子を察知しながら、隣のザトーも悠然と歩み出す。嫌がられているのは百も承知だが、こうして困らせることにも抗えない愉しみがあった。
 痛みがないわけではない。歪みだという自覚もある。
 だが、こういう形でしか共に歩むことは出来ない。

 その瞬間、彼は…………彼女の胸に咲く花に課せられた言葉を思い出した。
 なぜ忘れていたのだろう。ラナンキュラスの花言葉。たしかこう言ったはずだ。
 『忘恩』と。

 ザトーは思わず笑ってしまった。子供のように屈託なく。
 出来すぎた話だ。気の利いた悪戯だ。
「……どうしたの」
 驚いたように聞いてくるミリアを、称賛に似た感情をこめて見えない眼で見やる。
 潔癖を身に纏い、忘恩を胸に飾り、黒い絢爛の宴に立ち向かう。痛みを身の内で飼い慣らし、歪みを拒まず共生し、ただ自分だけに依って立つ。
 あまりにも彼女らしいと思った。

 だからこそ。
 ザトーは密かに、腕に感じられるミリアのぬくもりを追った。こうして歩く自分たちは、はたから見れば何偽らぬ関係に見えるだろう。
 それは今宵限りの嘘なればこそ。自分の隣に彼女が居ることは奇跡なればこそ。
 せめてこのひととき、我が胸の花に課せられた『幸福』の運命が適わんことを。

 黄金と真紅の色を掃いて、闇の中にぱっくりと開かれた夜会への入り口は、男と女を飲み込んで閉じた。



Fin.










「ドレスアップしたあの子にドキ」は基本ネタ。

2003/06/16