「さよならだよ、ジョニー」
 このうえなく明瞭に発されたはずの音列を、俺はちっとも理解できない。
 いつもと同じ顔、いつもと同じ声。なのにおまえは別人だ。
「僕はね」
 やめろ。
「本当は」
 そんな顔で笑うな。
「強くなんか」
 おまえにそんな日は来ない。

「僕はね、本当は、強くなんか、」






 ……こんなに寝汗をかいちまって、格好悪いねえ、全く。






 珍しく重い足取りで船長室から出てくる長躯の姿を、少女はすぐ見とがめた。
 掃除用具を放りなげ、全速力で駆け寄り、大きく踏み切って広い背中に全体重をかけて飛びかかる。騒々しい音で甲板を震わせる大惨事を横目で見ながらエイプリルは溜息をつく。
 メイ、それじゃまるで獲物に襲いかかる猫だよ。

「ジョニーってばジョニーってばジョニー! どうしたの? どこか気分でも悪いの?!」
「……本当にそう思うなら、遠慮ってヤツをしてくれちゃどうだ」
 背中に少女を乗せて突っ伏した黒コートの男は、顔を上げてようやくそう言った。

「なに、ちょっと夢見が悪かっただけさ」
「悪い夢?」
 ジョニーが身を起こすのを手伝いながら、小首を傾げてメイが聞く。
「どんな夢?」
「悪い夢の話なんざ、つまんないだろ?」
「やだ、教えて」
「聞いちまったばっかりに夜眠れなくなったらどうすんだ?」
「教えて教えて教えて! ジョニーのことはなんでも知りたいの!」
「じゃあ当ててみな」
 逆に問いかけられて、メイは考えこむ。
 だがそれはほんの数秒で、少女はきっと視線を上げて身長よりはるか上にある男の顔を睨んだ。
「どうせ、女の人に振られる夢でしょ」
 恨めしげに、いじけたように言う。
「ジョニーが言う、悪い夢っていうのは、絶対そういうことだ」


「……当たり」
 風にでも言い聞かせるように、少女と視線を合わせないまま男は言った。
「極上の、いい女に、振られっちまう夢だ」


 メイはすぐさま抗議の声を上げようとしたが、相手のどこか重苦しい沈んだ笑顔に戸惑って口ごもる。憧れのこのひとの、こんな顔をあまり見た覚えがない。
 つい、とりなすような言葉が代わりに出る。
「……でも、ジョニーのほうが振られちゃうなんてありえないよね。逆はあってもさ。あ、だからって誰かのこと口説いたりしちゃ駄目。それは駄目。とにかくどっちにしてもね、」
 小さい身体で胸を張る。何者かに宣戦布告するように。
「絶対に、そんな日は来ないよ」

 くるりと踵を返して、勇ましく朝食当番を呼びつける少女の大きな帽子を見送りながら、ジョニーの唇が薄く弧を描く。
 サングラスを外して空を仰ぐ。鮮烈な白さを誇る雲が視界でぼやける。
 心地良い痛みにただ身を任せる。
 まったくいい天気だ。今日もいい天気だ。



 ……彼方はこの眼に映らずとも空はなお美しい。
 運命も、また。











『青空』でメイじゃなかったら嘘だろう、と思ったんですがむしろジョニーの話に。