彼が絵画を嗜むというと、大抵の人は見せてくれと申し出る。 そしてしばらく眼を泳がせてこう続ける。せっかくだから、目の前で似顔絵なんか描いてもらいたいなあ。 彼には解っていた。ようは見世物だ。珍しい曲芸をしてほしいだけなのだ。 一本が女性の腕ほどもある指で、小さな絵筆をつまんでちまちま絵を描く自分の姿が、面白そうで仕方ないらしい。 だが、彼は違った。 「何の絵を描いてらっしゃいますか?」 絵画と聞いて返ってきたのは、ただひとことの問いだ。いつも通りのやりとりを覚悟していたポチョムキンのほうが、瞬間、眼を泳がせた。 「……何と決めているわけではない。美しいと思ったものを描く」 「その中に」 若き国際警察長官の口調は凛として、柔らかくも揺るがない。 「神の御姿は含まれますか?」 ああ、と得心する。彼の神は偶像崇拝を禁じているのだ。旧文明国家の徒である自分の宗教観に、慎重にならざるを得ないのも無理はない。 「いや、そういうイメージのものは描いていない。貴公にとっても問題ない」 「ご理解恐縮です。ならば是非、拝見させて頂きたいものです」 にっこりと笑う。金髪の下の笑顔は秀麗で、謹厳と慈愛がみごとに調和している。 ポチョムキンは口元を緩めた。前時代的といえる古い誓約を、不自由だと受けとめる者もいるだろう。だがこの男の信念は清々しかった。厳しく己を律する姿勢は好ましい。 気負わぬ柔軟さにも価値はある。ただやはり、ひたむきに遵守される誇りこそが、ポチョムキンの眼には心地よく映るのだった。 「何のための拳だ」 長柄の大鎌の切先を、ぴたりと自分のほうに向けたまま男は言う。 男? そうだろうか。眼の前の人物からは性別の匂いがしない。 いや、それ以前の問題だ。いずれ人ではない。 「答えろ。貴様のその拳は何のためにある」 「信ずるものを護るためだ」 「嘘をつくな」 曖昧な性を漂わせる人物は冷ややかに笑った。黒衣の裾がゆらゆら躍り、陰鬱な容貌もあいまって黄泉の使者を思わせる。 「力として鍛えたものは、力としてしか使えない。貴様は破壊することしかできん」 「それは貴公とて同じだろう」 静かな問いに、真紅の瞳があえかに細まる。 「……その通りだ」 微かな苦痛と葛藤を、ポチョムキンは相手の声に読み取る。 「私は力だ。あの方の剣だ。あの方を護るなどとおこがましいことは言わん。――ただ剣は、剣自身の意地をもってこの道を塞ぐ。それだけだ」 「俺とて同じだ」 ポチョムキンは両拳をゆっくりと天に奉げた。古代の拳闘士のように。 「俺はこれしか持たない。これ以外のものは無い。無いものを信ずることはできぬ。この拳を以ってしか、俺の誠は通されぬ」 「……成程」 じゃり、と爪先が礫を踏む。 彼らは器用ではなかった。依るものをこの世にひとつ決めれば、それ以外のものは二度と映らぬ眼をしていた。 彼らは器用ではなかった。なればこそ彼らは自分にできることを知っていた。 この期に及び、言葉は不要。 何を合図とすることもなく、両者は同時に地を蹴った。 「重くないのかねえ、それ?」 自分の巨躯のことを言っているのだと思った。でなければ、この首に自ら科している枷のことであろうと。 だが自らを舞師と称する男は、にこにこと人好きのする笑顔でただこちらを見ている。 「……ふむ」 何となく、察しがついた。 「重そうに見えるか」 「俺にはとても担げないね」 「柳を好むならそれで良い。だが自分はどう足掻いても樫にしか成れぬ」 「お、雅な表現」 けらけらと笑う。軽薄で浮薄なその態度が、しかしなぜか不快ではない。 「お気を悪くしなさんな、ちょいと感心したのさ。したいことをして生きたいように生きる、そいつが俺の信条なんでね」 「自分もそうしてきた」 「何?」 「俺が歩むのは、常に自分で選んだ道だ。万に一つも例外はない」 「…………」 扇でぺしりと自分の頭を叩いて、和装の男は苦笑する。 「一本取られたよ。自らが重きに応ずか、重きに応ずが自らか。大した男だねアンタ」 「おまえは違うのか?」 「俺は重いの嫌いだってば」 ひらひらと手を振る背中に、そういう意味ではないとポチョムキンは心中で問いかける。 何も担がぬということは、何にも頼らぬということだ。何も背負わぬということは、何にも背後を護られぬということだ。 どのような状況にあっても、この男はしたいことをするだろう。自分がそうしたければ、今まさに喉首に刃を突きつけている相手のことさえ、罵倒してみせるのだろう。 「……貴公はこれからどこへ行く」 「人生の指標、随時募集中」 「腹芸は解らぬ。思うことがあるなら言え」 「そんじゃまあ」 くるりと向き直る。人好きのする親しみやすい笑顔は変わらない。 「選択次第では、次に会うときアンタとは殺しあいになるね」 「では誓おう」 冗談としか取れぬ不躾な言葉に、真摯な表情が返す。 「次の邂逅が、如何なる時間、如何なる場合であろうとも……その日まで互いに己自身のままであるように」 巨大な手を、握手を求める形にして指し出す。 舞師の男はそれをじっと見下ろし、悪童のようににやりと破顔して、握り返した。 左手の握手は挑戦の意を示すという古い習わしを、彼もまた知っていた。 彼らは踵を返し、そして二度と振り向くことはなかった。 ポチョムキンと3人の騎士。GGXのEDにあったお絵かきポチョがなんとなく好きなので冒頭はそれらしく。 |