「上列、左から順に、フランボワーズ・オ・ショコラ」 こちらを見もしないまま、すらすらと流暢に男は諳んじてみせる。 美しい名前たちは、淀みなく重ねて唱えられるとまるでどこか異国の歌のようだ。 「ピスタチオとカラメルのムース。アプリコット・フロマージュ。ザッハトルテ。チェリーのシブースト。タルト・オ・シトロン。グースベリーのカスタードパイ……」 「……誰もそんなこと聞いてない」 華やかに視界を埋める芳醇な色彩に圧倒されながら、ミリアは不機嫌な声を喉から押し出した。 「残念だ。私の記憶力を誇らせていただく良い機会なのだが」 「もう一度、同じ質問をするわ」 強めた語気に溜息を混ぜて、悪ふざけに乗ってやるつもりはないと念を押す。 「これはいったい何なの?……何のつもりか、という意味よ」 「個人的にお勧めしたいのはこれだ」 膝に大きな紙箱を乗せて座るミリアの肩越しに、ザトーが箱を覗きこむ。長い指は目標を探して迷ったが、すぐ、こってりと重めの生地にシュガーが振られただけのシンプルな一片を差して止まった。 「Tarta de santiago……タルタ・デ・サンティアゴ。ガリシア地方のアーモンドのタルトだ。故郷贔屓と思われて構わんが、味は保証する」 至近距離にある女の顔から向けられた、皮膚の下まで貫くような鋭い一瞥を感覚世界に受け止め、ザトーは根負けして苦笑した。 「そう恐ろしい顔をするな。来たるべき日に向けての、ほんのリサーチだ」 「何の話」 「おまえがどれを好きか解らなかったのでな。とりあえず全種買ってきた」 「だから何の話」 「バースデーケーキはどの種類がいい?」 聞き慣れない単語の意味を一瞬とらえかねて、ミリアは眉間に皺を作るのも忘れて相手の顔を見返す。 これは新手の嫌がらせか。 先入観のない判断を心がけても、相手の意図をそう取らざるを得なかった。 「……それはそれは、ありがたい話ねえ」 不快な結論を得た脳裏は温度を上げ、口が勝手に毒を吐き出す。この男だけは知らないはずがない。公的な意味でも私的な意味でも、孤児である自分には、戸籍や出生の記録といった類いが存在しないのだ。 「自分が生誕した日を祝ってもらえるなんて、感激だわ。人間としてこの上ない喜びだわ。……己の生まれがきちんと判明している人間にはね」 思いつく限りの厭味を並べようとした唇は、だが相手の言葉に遮られて止まる。 「だから私が決めてやる。誕生日はいつがいい?」 「…………」 突飛な提案にミリアの憤りは空回り、開けていた口を思わず閉ざすしかなかった。 必要ないと突っぱねようとして、それ以前に、要不要で答えることの不自然さに思い至る。この世にいつ産まれ出たかなど、本来なら人智の外で采配されることだ。それを当然のようにザトーが決めようとした事実を問題にすべきではないか? ミリアは身を固くし、相手よりも自分を厳しく律するつもりで、師である男を上目遣いに睨めつけた。 「いよいよ神様にでもなりたくなったの? 馬鹿げてるわ」 「誰かが決めてやらんことには、誰もおまえを祝福できない」 「あなたが決めることではないし、あなたからの祝福は要らない」 「……おまえが拒むだろうとは予測できた」 ザトーは噛んで含めるように言葉を紡ぐ。感情の色を匂わせない、柔らかな口調が腹立たしい。この男は私を喜ばせるつもりで言ったのではなく、自分好みの欲求を満たしたいだけなのだ。 「だから是非を論ずる気はない。問いに答えろ」 じゃあ、何もかもあなたが決めればどうなの。ミリアは心中で毒づく。 産まれた期日でも祝いの品でも――私がそれを喜ぶかどうかさえも、あなたが決めて否応なくその通りになぞらせればいい。私の全てを否定して、塗り潰したうえから好きなように、綺麗に上書きすればいい。私は抑圧になら耐えられる。息を潜めて自分の心を殺すことになら耐えられる。 ただ。 私の意思を必要としない人間に、私が掻き乱されることだけはごめんだ。 きしりとソファの骨組みが鳴る。 背もたれに手をかけて、背後から身を乗り出し、ザトーはミリアの耳元に唇を近づける。肩口にさらさらと金髪が流れ落ちる距離から、あやすような低さで囁く。 「……いつがいい」 引き締まった腕が、長く冷たい指が、忌々しい優しさで頬に触れて喉元へと滑りおりる。 犬の仔でも甘やかしているようだと他人事のように考え、せめてその躾の悪さに倣って、思いきり指に噛みついてやろうかと顔を上げたところで――男の薄い唇に刻まれた、あえかな自嘲を読み取ってミリアは瞬きをした。 この人は自分の傲慢さに気づいている。 ……気づいて自嘲することで、傲慢さを許されようとしている。 胸をよぎる、失笑と痛みが混ざりあった息苦しい情動。 ミリアは慌てて、その感情に名前を付けようと努力する。憐憫? 侮蔑? 嫌悪? そこまで名詞をかき集めたところで、彼女は力なく瞑目した。 嫌悪と呼ぶならば同属嫌悪と呼ぶほうがなお近い。 君臨に伴う責務を負おうとしない臆病者の王様と、挑みもせず内心で見下すことで優越感を得ようとする囲われ者。似合いの番いだと人は言うだろうか。反吐が出る思いで、彼女は小さく笑った。 孤高を気取るかのような相手が、自分と似た形に歪んでいると知り、同じ罪を形成するちっぽけな共犯者に過ぎないことを悟り――だがその事実に狂喜している自分のことは都合よく無視したまま、女は卑屈に笑った。 ミリアはザトーを見た。 ゆっくりと顔を回して、背後からひそやかに頬を寄せている己の支配者を見た。 前髪が触れあい、吐息どころか熱さえも感じとれる距離にありながら、しかし彼自身ではなく、背後の窓に映りこむ季節の風景を見た。 7月の陽光は熟れきらず若く、風は樹々を縫って翡翠色に匂いたつ。 駆りたてるような真夏の生命力には及ばないぶん、透明な爽やかさが心地いい。 なんて良い日。非の打ち所のない、なんて良い日。鳥の卵だって、もし孵る日を自分で選べるとしたら今日を選ぶだろう。否定する原因が見当たらない。最低だ。 「…………今日がいいわ」 罪に気づかぬ罪と知りながら見過ごす罪は、ではどちらが重いだろう。 紙箱いっぱいに詰まった美しい免罪符に視線を落とし、やがて訪れるであろうくちづけを待って、ミリアはそれだけを気にかけた。 Fin. 当サイト1周年企画に、水月りおん様からリクエストいただいた『ザトミリで誕生日ネタ』です。有難うございました! ギルティキャラの誕生日はCVを担当する声優さんと揃えてあるため、設定上は『不明』であるミリアの誕生日も、CVの住友優子さんと同じ7月11日ではないかと推測しています。 2004/06/23 |