2006/08/11 東京 エビータ 夜 S 2006/08/13 東京 エビータ 昼 S 井上エビータ・芝チェ・下村ペロン・渋谷マガルディ 『エビータ』初観劇。 舞台より先に、CDや映画版のほうに慣れ親しんでいたので、それと比較するレビューになるかも。 それぞれ同じくらい好きだけどね、舞台も映画もCDも。 ●レクイエム/こいつはサーカス 上映している映画を中断するシーンはなく、普通にナレーションで始まる。 棺には窓がついていて、遺体の顔が見えるらしいけど、前方席からは見えなかった。 チェは下手の客席通路から登場。 レクイエムが済むと、泣き叫ぶ人々のストップモーションを載せて盆が回転。ペロンは中央で直立。 チェは彼らの前で、エバの棺に座って「こいつはサーカス」を歌う。 この対比はいいね。チェはあくまでも案内役で、違う時空にいるんだと解らせることができる。 回転舞台も、見ているとまるで、ショーウィンドーに並べてある 『泣き叫ぶ人々』のサンプルをチェに見せてもらっているで面白い。 チェがエヴァの棺に座るのはなぜか? まあ単に、『エビータの死に左右されない冷静な傍観者』であることを悟らせる目的もあるけど、 死者を敬うという、社会動物なら当然のことをあえてやらないことで、 『この時空の人間じゃない』ということを観客に説明する目的もあるんだろう。 「期待すら」が「期待さえ」になっていた。すらのほうが解りやすい気もするんだが。 「歌え、バカども」で人々はハケはじめ、その間をぬってチェは歌う。 レクイエムのリフレインが終わると、 舞台後方にマリアベールを被ったエバが現れ、「さようならアルゼンティーナ」と歌いかける。 客席から顔が見えないことが、民衆に神格化されているエバのイメージに重なっていいけど、 タイトルロールの初登場……にしては地味かも。 音楽だけはごんごん盛り上がってるのでつりあわない感じもする。 (英語の歌詞カードにある演出、面白いと思んだけど、さすがにあれは解りづらいのかなあ) 「始めから話そうか では あの女のこと」でクイッと親指で後ろを指す芝チェ。 「田舎の町 抜け出したいが」あたりだったかな? ストライプのワンピースを着たエバが登場。 ●星振る今宵 マガルディはまずシルエットで登場する。 黒くてストイックな衣装。黒に金のふちどりがしてあって、マスカレードのラウルの服に少し似てる。 曲が始まると、チェはスタンドでバーテンになる。カクテル作る姿がかっこよい。 マガルディ、親族といっしょに座ってるエバの方にだけ超アピール。 歌い終わると、他の客は無視しているけどエバだけが拍手。これは映画と同じ。 それにしても最後、カウンターに座ってた男女(特に女)が、キレた感じで乱暴に出ていくんだけど なにをそんなマガルディにいらついてんだろう…… 「あたしは行きたい」でマガルディにまたがるエバがちょっとすごい。 振り付けでもスカートたくし上げまくり。おまえ本当に15か。 「悪いことなんでもしたいわ」で、エロティックに中腰に足を広げて座るのも、目のやり場に困る。 マガルディの「俺、責任もたない」は軽く笑って流す感じ。真顔ではねつけるんではないのね。 「この子をゆうべ抱いたはずだよ」と親族たちに言われたエバ、 さすがにそのときは一瞬だけ『あ、やべ、ばれてたんだ』って顔をしているが、 「あんなことできたのは好きだからよ」で開き直ったようにぶっちゅー。うわー。 「この手に抱きたい ブエノスアイレス あんたを」と歌うエヴァの表情は、 やっぱりマガルディじゃなくて完全に都会のほうを見ている。 「身から出たサビ、お気の毒さま」のとき、 テーブルの上で座ったままくるっと一回転するチェが大変エロかっこよい。 ナンバーの最後、エバに旅立つためのトランクを渡してくれるのも、チェなんだよな。 ●ブエノスアイレス ダンス冒頭、下手の一角の若者たち、さいころとカードで賭博してやがる。 中間のチェの語りでは、セリフの内容に合わせて、 色々な階級のかっこう(労働者・スーツ姿・貴族など)に扮した男性ダンサーが出てくる。 エバのダンスの振り付け、女の子たちが寄ってくるとピシッとはねつけるが、 男たちが寄ってくるとにっこり笑って手招きする。 「ねえ 私を助けてね」は媚び媚びの発音。最後は男から帽子をうけとって、キメポーズ。 ●グッドナイトサンキュー 舞台中央、家に模した舞台装置。四角柱で3面にそれぞれドアがついてる。 下手には男たち専用の『捨てられベンチ』。(キャメラマンのパートのときチェがここに足をかける) エバ、最初は白い質素なガウンなのに、男を取り換えるたびだんだん着るものが良くなっていく。 玄関も、違う面のドアになるたび、ちょっとづつゴージャスになる。 「ズボンを上げて」で出てゆく男、シャツが社会の窓からはみ出てるぞw 最後になるともうぞろぞろ出てくる男たち。数えてみたら9人くらいいる、とんでもねえ。 全員を追い出してしまうと、チェがドアの前に立ちふさがり、後ろ手で扉を閉めるのが激萌え。 ●飛躍に向かって さあセクシー芝ダンスの始まりです。 バックダンサーたちはゲリラのイメージなんだろうけど、なんかこれ、ボーイスカウトだよな。 「裏町ののら猫よ」と歌いかけるときの、皮肉げな優しいからかいに愛を見る。見るったら見る。 ●エリートのゲーム 椅子に座っている軍人たち、おまえらメカかと思うくらい足を組みかえるタイミングがそろっている。 イスとりゲーム2回目、ペロンが椅子の外側ではなく、ちゃっかりと内側を回って座るw 3回目くらいには完全に押しのけるし。ペロンに突き飛ばされた人はごろごろ派手に転がる。 最後には完全フライング。内股でそっと座る下村ペロンの図々しさがかわいい。 どうでもいいけど井上エバ、「わたしはラジオの女優よ」という歌詞が、 2回観たら2回とも、「わたしはラジオ”と”女優よ」に聞こえるんだけど……。 ●チャリティコンサートで こーよーいーーと歌うマガルディはシルエット。ペロンも、最初の演説はシルエットのみで登場。 (カーキ色の軍服から白い軍服へと着替えるための時間稼ぎだな) ペロンが「みなさんこそ この世の中の主人です」と言った瞬間、エバははっと決意の表情をする。 使える! と思ったのか、私が求めていたのはそれよ! なのか。 エバはペロンとのやりとりの最中、子供たちにサインをしてやっている。あれはいいね。 セリフだけならすでに、「エバはラジオのアイドルになった」とは説明してるけど、 それだけでは説得力がないから、こういう視覚的な演出で、再びそれを理解させるわけだ。 2人のラブシーン、冒頭の辺りではまだ、ペロンは「またまたあ」みたいな顔をしている。 「何を難しいことをお言いで?」みたいな。キスしようとしてかわされて、当惑して微笑むだけ。 でも、エバの歌を聴くうちに、だんだん真面目な表情になっていく。 彼女の本気を理解したうえで、彼女と組むことにメリットがある、と判断した顔。 ●スーツケースを抱いて ごめん、ミストレス、微妙! 歌も演技も! まあ聞けなくはないぶん、02年大阪CATSの山内バブよりはましかなあ。 このナンバーに入る直前、家の玄関で、ペロンが言いにくそうにエバに何か切り出そうとする。 しかしエバはにっこり笑ってそれをさえぎり、ひとりでとっとと中に入る。 で、開口一番「ハローバイバイ」。 愛人のひとりやふたり、覚悟はしてたんだろうけど、すげえなあエバ。 それにしてもミストレス……16歳の娘が、お人形? まっしろひらひらのワンピースといい、ペロンの趣味か? エバはミストレスを追い出すとき、自分の着ていた毛皮をかけてやる。 「あんたが外に出る番だからね」という意味でもあり、まあ単に餞別でもあり。 13日マチネでは、エバは羽織ってた毛皮を床に落としてしまうが、拾って腕にかけて続投。 流れどおりミストレスにかけてやるも、押された拍子に、今度はミストレスが毛皮を落としかける。 片袖を落としてあぶなっかしく羽織る格好になってしまう。 だが玄関先でミストレスを対峙したペロンが、それを見て、苦笑してかけなおしてやる。 舞台はナマモノ、こういう対処が素晴らしい。 にしても、このナンバーは何のためにあるんだろうなあ…… 1曲しっかり歌うわりには、ミストレスの出番ここだけ。まあエバのアンダースタディなんだろうけど。 『エバの最初の被害者』として彼女を出し、今後の布石にしている意味もあるのかなあ。 案内人としての視点を持つチェが、「俺は知らない」と返事をするのは…… おまえはエビータという歴史物語には不要なのだよ、というくらいの意味なのかなあ。 ●ペロンの野心 軍人たちがいっせいに腕を組むのと同時に腕を組むチェ。かっこよす。 「この一年はどう エバ?」と語りかけて、SPたちに連れ去られるときのチェが、 「はいはいわかりましたよ、降参、こうさーん」という感じで手を広げていてかわいすぎる。 (連れ去るとき、エバがあごで軽く指し示しているのね) ●ニューアルゼンティーナ 回転盆に乗って「いよいよ来たぞ」と歌うペロンがちょっとだけかっこいい。 トレンチコートを来て出てくるエバ、下に来ている服はいつもより地味。 民衆たちに反感を抱かせないような服を選んでくる、彼女の計算高さがおもしろい。 (コートは、貧しい民衆のひとりにかけてやり、そのままその人に与える。 で、そいつがそのコートをありがたそうに持ち去ることで、自然な小物ハケを完了している) 下村ペロンは、最初のうちはただエバに引きずられてる感じ。 「そして 命さえ」と歌われて、え、そこまで言うの?! と驚いているような感じすらあるが、 民衆たちからの歓声を浴びて、だんだん調子づいてくる。 でもそれでいて、秘密警察には「もっといい手だてを考えろ」などと計算高く指示を出している。 あー、実は冷静なんだな。 「自信がないんだ」などと弱音を吐いてしまうのも根っこは同じことで、このペロンはとても慎重。 のぼせあがってないし、楽観視してもいない。本物の世渡り上手なんだ。 (どうでもいいけど、下村ペロンの「自信がないんだ」の歌い方は 首を大袈裟に回しながら「じしん〜が〜」と鼻にかかった声を出していて、とてもかわいい) 力強い、勇ましくて格好いいメロディで、ここちよく観客をノセてゆくナンバー。 しかし、チェのパートになると突然、 「ニューアルゼンティーナ みんな乗せられた」と、冷水をかけるように手のひらを返される。 この感覚がなかなか楽しい。 2幕 ●カサ・ロサーダのバルコニーで スーツ姿で出てくるペロンがトリューニヒトっぽい。政治家だから当然か。 舞台前方がせりあがってバルコニーを模し、その上にいる白いドレスのエバは王女然として美しい。 (ただし13日マチネ、背中のマイクコードがたるんで出てしまっていた) 「ともに居て 仲間たち……」で声をつまらせるエバは、 井上さんの演技だと、計算でそういう演技をしているようにも見える。 まあ……私としては、「たったひとつの真心をあなたのもとに」も、「つかんだ、勝った!」も、 エバはどちらも本気で言っているんだと思うけどね。 彼女はいつも精一杯で、あらゆる言葉は偽らざる彼女の本気なんだ。 民衆たちへの肩入れも、利己主義も、いずれも『自分がよければいい』から来ているだけなんだ。 「束の間の勝利に過ぎぬ」と歌う加藤(@帝都物語)っぽい軍人は、バルコニーではなく下にいる。 以前は同じバルコニーにいたらしいけど、この演出のほうが差が出ていい。 「指導者ペロンとともに戦う女」のくだりはテープ。何の理由があってテープ? そのあいだ、チェは客席最前列のすぐ前を通って、バルコニーの周囲をぐるりと回る。 元の位置に戻ってきてから、「ひどいことになる わけの解らん奴が」と歌う。 ●空を行く いやあ完全なるラブソングでしたね。 舞台装置で両者の高さを変えるのはおもしろいが、背中丸めて座った状態で歌うチェは大変そう。 ホリには流れる雲の動き、照明もブルーで空っぽくしている。 「振り返るな 深い闇の底」と歌うときの芝チェは、皮肉というよりは、やや同情を込めている。 ナンバーの最後、両者はわずかに視線を合わせる。 ただしそれは対立とかではなく、ここまで来てしまった、という事実を確認しているイメージ。 ●虹のごとくに このナンバーに入る前、エバの着付け係らしき人々が、宝石類を持って軽くダンス。 エバの衣装替えの時間をかせいでるんだな。 歌いながら着付けるエバ、手袋にネックレスにブレスレットにでかい指輪に帽子に毛皮。 クリスチャン・ディオールは「ファッショナブル」に、 ローレン・バコールは「映画スター」に変更されている。 「ごらん、ヨーロッパ」という歌詞とともに、壁をスクリーンにしてスライドを投影。 実在のエバの映像と、ヨーロッパの地図の映像が、交互に入れ替わりつつ映し出される。 やがて、新聞を読んでいる人々が中央と左右に登場。 ●虹の歴訪 ペロンが「よろしくな イタリーも」とエバを激励して背を向けると、 彼と背中合わせで立っているチェが、「水を差すのはいやだが」と歌い始める。 この対比がいい。 「ペロンとムッソリーニが 不思議だね?」では、チェは中央に座るペロンをはっきり指差す。 「私は提督と呼ばれてます 退役してる今も」では、あからさまに悔しそうな顔をするエバ。 「勲章とお言葉いただいた」のくだりは、少女達をはべらせるチェがかっこいい。 ●エバ基金プラン 文字通りの意味で、貴族たちを身ぐるみ剥ぐとは思わなかった。 解りやすくて非常にいいね。 ●金は出ていく湯水のように 芝チェ迫力! 民衆ダンスも迫力! 「着るもの 食べもの 人並みのくらし」は、なんか加藤敬二っぽい振り付けだなと思ってしまった。 違うかもしれないけどさ。 札束をばらまくエバ。こんなあからさまに『ばらまく』演技をするとは思わなかった。 中盤、一瞬だけ音が切れるところも、エバの指パッチンの合図で再会する。 「もうおしまい もう何も 残ってはいない」の振り付けは、 これは一時的な解決でしかないのだ……ということを示す感じの振り付けになっている。 ●サンタ・エビータ 青い光の満ちる教会が美しい。 CDや映画では解らなかったけど、もっとも気に入ったシーンのひとつ。 静かな、おだやかな賛美歌とともにエバが現れる。 いよいよ彼女が神格化され、彼女もそれを受け入れているのか……と思わせたところで、 不意に(本当に突然のタイミングで)、「味方にするんだエビータ、若いうちに」とチェが語りかける。 振り返り、チェと視線を合わせるエバ。 その瞬間、「サンタ サンタ エビータ」と、合唱が一斉に挿入される。 盛り上がってゆく声の中、両者は対峙し、じっとそのまま視線をはずすことができない。 私にはこのシーン…… エバが神さまの前で、生まれてはじめて一瞬だけ、 『歴史』というものに思いを馳せたのではないか? というふうに見えた。 後世、自分の仕事がどう評価されるのかを、彼女は初めて考えてしまったのではないか? 自分はいつのまにか、歴史という大いなる怪物に関わってしまったのだと。 自分が立っている場所は、本当は途方もないところなのだと。 今まで深く考えないようにしてきた、自分が対峙している怪物の大きさを、恐ろしさを、 ほんの一瞬だけ、はじめてその匂いを嗅ぎとってしまったのではないか? だが、エバはやがて反対側を向いてしまう。 あえて無視をしたようにも、見過ごしてしまったようにも見える。 ●エビータとチェのワルツ 聖歌隊が去って2人きりになり、それぞれ逆の方向に歩きだすエバとチェ。 だが、お互いにすれちがいきったところでチェがくるりと振り向き、歌いはじめる。 この流れすごくいいなあ。 盆が回転し、チェはその上で歩みつつ、立ち止まっているエバとの距離を保ちながら話しかける。 この時代の人間であるエバと、全てを悟っているであろう案内人チェとの対比。 ダンスはしないのね。舞台構成はわりとシンプル。 「それがいやならお行きなさいな どこへでも」と歌って舞台の奥を指差すエバ。 「かっこいいじゃない」はメンチの切りあい。 そのあとの間奏で、チェはいったんハケてしまう。 舞台に残されて、「ああ もし100年あったら」とひとりで歌うエバ。 歌い終わると、チェがそっと戻ってきて、よろよろ退出してゆくエバを見守る。 (なんかタイミング変な気がするんだけど……何しに戻ってきたんだ、このチェ) ●彼女はダイヤモンド 「彼女あってのあんただろ」の振り付けが、あからさますぎるかなあ。 まっすぐペロンのことを指差してしまうのね。 映画では、ペロンが部屋を出たあとにこそっと陰口たたく感じで、あっちのほうが好き。 まあ舞台だと、このまま次のナンバーに繋げなきゃいかんから、仕方ないけど。 ●サイは投げられた/エバのソネット 下手奥にエバのベッド。病気メイクが怖い。 エバは黒いスリップに薔薇色のガウン姿で、ここに来てもエレガントでいいなあと思うけど、 まさかこのシーンから最後まで、ずっと衣装替えがないとは思わなかった。 病でやつれながらも、「副大統領にして」とねだるエバの執着が、なんだかもの哀しい。 権力欲といってしまうのは簡単だけど、少し種類が違う気もする。 死に瀕してさらにワガママになっている感じだな。愛されている証拠が欲しい、みたいな。 ここに来てペロンの冷静さが炸裂。 ニューアルゼンチーナのときからやっぱり楽観視はしてなかったもんな、ペロン。 冷たいわけじゃないけど、優しいことは優しいけど、3歩か4歩引いてエバのことを分析している。 いざ依存できないと知ると、嘆いたり困ったりはするけど、特に彼女にはこだわらない。 次の手段を早く探さなきゃ、といさぎよく切り替える。 「どこへゆくの」「俺は知らない」のくだりでは、 哀しそうな顔はしつつも、倒れているエバを起こしもせず去ってしまうことにびっくりした。 いちおう面倒くらいは見てくれるのかも知れないが、もう心はそこにない。 ●エバ最後の放送 前ナンバーでペロンが行ってしまうもんだから、ここでエバを支えてくれるチェに少しときめいたw 彼女をマイクの前まで連れていくのが、他でもないチェ、というのがいいよな。 「私にもう何も求めないで」とは言いつつも、 最期にこれだけはしておかねばと、自分でも意外だったであろう信念に導かれるように…… 彼女の中に息づいている、かくあらねばならないという衝動に動かされるように…… やっとの思いで、マイクの前に立つエバ。 彼女をマイクの前に立たせたのはチェであり、 チェという名のティム・ライスであり、ティム・ライスという名の後世の歴史家たちだ。 それこそが、教会で彼女が存在を感じ取った、『歴史という大いなる怪物』だ。 あまたの歴史家たちが記述することで、歴史はつくられてきた。 歴史という怪物に見られていると知ったからこそ……エバはマイクの前に立ったのだ。 自分という人間が、歴史として誰かに書かれる日が来るということを、 エバはあの日、教会で悟ったのではないだろうか。私はそう思った。 感極まって立ち上がったエバ。しかし、その場に倒れかける。 チェに抱きとめられ、ゆっくりと床に横たえられる。 横たわった姿勢は、仰向けに両手を広げ、足は軽く組んでいて、磔刑のキリストを連想させる。 ●エバのイリュージョン ひとことで言うなら走馬灯シーン。 うーん、エバを横たえたチェが、そのまますたすた壁ぎわに行って座っちゃうのは興醒めかも。 このシーンに出てくる人々は、すべて完全に『エバの追想』として、 ぱっと出てぱっと消える、そういう存在であってほしかった。 ●エバのラメント 最初はうずくまって歌っているエビータ、後半は立ち上がって歌う。 この立ち姿がわりと堂々としてて、普通に元気そうで…… なのに歌詞の内容は「死にたくない」なので、ギャップを感じてしまった。 ずっと同じ姿勢のままで歌われても、確かに飽きるけど、シーンとして違和感をおぼえる。 いっそ寝たまま歌う→座ったまま歌う、のほうがいいんじゃない? 最期だけ立ち上がって去っていくのは仕方ないとしても。 ひらひらと舞う花がきれい。ジャカランダの花っていうアルゼンチンの国花なんだって? 彼女色の花だなあと思った。 最期のチェのコメント、そっけないのがまた逆にいい。 言い終わると、なんら感傷的な様子は見せずにストイックに立ち去り、同時に幕が下りる。 ●カーテンコール 曲はブエノスアイレスなのね…… いい選曲だ。ノリがいいわりに、意味合いが切なくてたまらん。 芝チェの締めかたは、胸に手をあてて優雅に一礼したあと、腕挙げて「おー!」だった。 ★『エビータ』についての総括&雑感 (長いです) ●英語の歌詞では、『こいつはサーカス』直後のシーンで、エビータは 「So share my glory, so share my coffin」 (私の栄光をみなで分かち合ってください、私の棺もみなで分かち合ってください) と歌う。 でも……チェが言うように、『エビータの遺骸は17年間、行方さえ知れなかった』んだよな。 なんという皮肉な歌詞だ。 ●『エビータ』という芝居は、同じティム・ライス脚本の、 『ジーザス・クライスト・スーパースター』とやや趣が似ている。 実はちっぽけな人間でしかないカリスマと、愛ゆえにそれを批判する観察者、という感じで。 でも、ジーザスとエバはあまり同一視できない。決定的に違う要素がいくつかある。 ジーザスは『ええかっこしい』で死んだけど、エバは『わがまま』で死んだ。 ジーザスは、自分にすべてを求めてくる民衆たちを断りきれなくなっちゃった人だけど、 エビータは、自分自身のエゴで、民衆たちに肩入れしすぎた人だ。 ジーザスは、人々が自分を持ち上げて崇めてくるのを 「なんか違う……」と思いつつも、『いいひと根性』のせいで後に退けなくなってしまった。 一方エバは、『これは私の独善だっていう自覚はあるけど、それでいいのよ』と納得している。 (英語の歌詞でも、「罪を認めて勝ったほうがマシよ、栄光の敗北より」とはっきり歌っている) だから、ジーザスは民衆に殺されたと言うことができるが、エビータはそうではない。 ●「もし100年あったら なんでもできるわ」と歌うエバ。 そうだなあ……本当は100年では足りないんだけど、まあこれは比喩としての数字であって、 本当は単純に『もし永遠に生きられたら』というくらいの意味になるんだろうな。 独裁政権というものは、なぜ批判されるのか? 誤解を恐れずに言うなら、「わがままだから」だとか、「皆の意見もきくべきだから」とかではない。 その理由は、『ヒトの生命は永遠ではないから』だ。 もし生命が永遠だったなら、ただひとりのカリスマに、すべてを託せばそれで万事OKだ。 (エバがそのカリスマだとは思わないけど、「船頭多くして船、山に〜」のたとえ通り、 指導者はたった1人であったほうが、本来、物事はまとまりやすい) もし、すばらしい政治能力を持つ英雄がいて、その人に永遠の命が約束されていたら? 民主政治なんて必要あるわけがない。 だけど、ヒトは死ぬ。 英雄が死んだら、次の英雄が現れるまで、国は荒れる。 しかも、次の英雄がかならず現れてくれるという保障はどこにもない。 ヒトの生命は永遠ではないが、子子孫孫のことを思えば、永遠に安定しつづける国が欲しい。 でも、いつかは死んでしまう以上、『英雄』の存在には期待できない。 だから民主政治というシステムを生みだした。 英雄を失うことへの恐怖感から、英雄を必要としないシステムを生みだした。 システムは、どんな凡人でもそれを使えばうまくやっていけるからこそ、システムたりうる。 ありていに言うなら…… どんなにバカしかいない世の中になっても、とりあえずそのシステムに従っておけば、 誰でも最低限の効果(=ある程度の安全、平和)が安定して得られる。 本当に最低限の効果だけど、不満は必ずあるけど、英雄が消えたら確実に荒れる国よりはマシ。 そういう国にしたいと願う人々が増えた結果、今の、民主政治を尊重する世界ができた。 ただそれだけのことだ。 私個人は、民主主義という制度を、いちおう良いものだと思っている。 でも、それは別に普遍の『真実』でも『正義』でもなんでもないことは、自覚しなければいけない。 ●で、↑を受けて考えたんだけど…… エバは、『私が生きている100年足らずの間だけ、私が満足できればそれでいい』 という思考法を体現した人間なんだと思う。 それは確かに、チェの言うように近視眼的で、先が見えていないかも知れない。 でも、本当のことを言うなら…… 先のことを考えて行動したところで、それが実を結ぶという保証はひとつもない。 「先のために」「先のために」と考えて行動したところで、それは永遠の徒労のままかもしれない。 (若いころから異常なまでに節制して、何ひとつ人生を楽しむことなくお金を貯めつづけ、 でもそのお金を使うことなくコロッと死んでしまった人生をイメージすると解りやすい。 実際の政治でも、こんな事例はたぶんある) 「貧しささえ、戦争さえ、迫害さえ、どうしてもなくせない」とエバは解っていた。 成り上がり者のエバだもの、それはよく解りきっていた。 だからあえて、目先の幸せを取りにいった。 世界全体にはびこる巨悪を打ち倒すことなんか、最初から無理に決まってる。 ただ、私が生きている間だけなら、自分の眼についた人々を幸福にすることはできる。 どう転んでも人生は辛いもの。それなら、一瞬だけでも幸せな時間があるほうがマシじゃない? ……その信念のもとに、後先考えずにお金を吐きださせ、あらゆることをやってみたのだろう。 「栄光の敗北を気取るより、罪を認めて勝ちにいったほうがマシ」という台詞どおり。 エビータのこの思考法は、現代人にはちょっと賛同できないものだと思う。 (私だって、これを自分の国でやられるのは絶対イヤだ) でも、上にも書いたように、「先のことを考える」といういかにも高邁で慎重そうな政策でも、 それが成功するという保証はひとつもない。 むしろ私たちは…… 『慎重』という衣服を体よく着こんで、その実、色々なものを無視しているだけという可能性もある。 政治家は目先の「かわいそう」に囚われてはならない。それが『正しい』思考法だ。 でも、目の前で飢えている自分にパンもくれない相手を、私たちは支持することができるか? (オレたちに必要なのは思想じゃない。食いものや寝るところなんだッ! それも今すぐになッ!!) エビータは、真剣に飢えたことなんかない現代人の、悠長な政治観をまぜっかえす存在なのだろう。 私個人は、それでもなお、愚鈍なまでに先のことを計算しつくすのが正攻法だと考えている。 ものごとは、できるだけ構造的に解決するほうがいい、と思っている。 ただ、個人の指針としてはこれでもいいんだけど、 『それをもし“唯一無二の正義”だなんて思いこんでしまったら、それこそ近視眼的よ』……と エビータは教えてくれているのかもしれない。 エビータと対決する相手が、チェ=ゲバラを模した相手だというのにも、同じ意味を感じるなあ。 『気に食わない相手をかっこよくやっつけてハシャいでるばかりで、 何かを作りあげる苦労からはちゃっかり逃げてきた人間に、非難される筋合いはないわ』 ……という、エバの声が聞こえてきそうだ。 (というか、英語版の歌詞ではほとんどそう言ってるけど) ●『エバのラメント』というナンバーは、簡単に言ってしまえば エバが「死にたくないよー」と歌ってるだけのシーンなんだけど……それだけではない気もする。 この曲には、脚本家であるティム・ライスの、 『彼女には、もう少しだけ生きて欲しかった』という希望が入っていると思えてならない。 ただし重要なのは、ティムさんは熱烈なエバフリークではあるけど、 『なんで早死にしちゃったのかなー、これじゃ可哀想だよねー』……などという センチメンタルな思い入れからそう願っているわけではない、ということ。 エバは、自分のしたことが招いた結果を見て、どういう感想を持つのか? 心折れるのか? 折れないのか? どう後始末をするのか、どう落とし前をつけるのか? それをぜひとも見たかった、という願い。 歴史家としては禁断であるこの願いを、ティムさんは、物語という形でぶつけたのではないか。 エバが、自分のしたことの後始末をするとして……それが成功するか失敗するかはどうでもいい。 ただ単に、彼女がどうするのかを知りたい。 どう悩むのか知りたい。どうあがくのか知りたい。どう結論づけるのか知りたい。 歴史にIFは禁物だ、と知りつつも。 ……チェというキャラクターごしに伝わってくるこの想いが、私には愛にしか見えない。 『エビータ』という演目は、一種のラブストーリーだと私は確信している。 (ティム×エビータと言ってしまうと、一種のドリーム小説みたいに聞こえてしまうけど…… エビータと同郷であるチェという人物を、歴史の案内人として創造することで、うまくやったと思うよ。 作者がキャラクターにいくらか感情移入するのは当然だし、それと同じことだね。 もしティム本人が出張りすぎてたら、この関係性は出せなかっただろうし) それは、いうなれば実際的な愛ではないけれど、その魂の触れあいにすごく魅力を感じる。 リアルな肉体がからむとどうしても、関係性がカテゴライスされてしまうからなあ。 もちろん、そのカテゴライズに縛られるタイプの恋愛話もすごく面白いけど、 それとはまったく違う関係性にも心が惹かれるわけで。 損とか得とか、独占欲とか見栄とか、そういうまだるっこしいものは置いといて…… 『他でもないおまえがどうするのか、それを知りたい』という、純粋で無垢でとても強烈な興味。 これを愛と呼ばずになんと呼ぼうか、と思っている。 |
2007/02/16 名古屋エビータ 夜 S リハ見学会に参加 井上エビータ・芝チェ・下村ペロン・渋谷マガルディ ★ソワレの前に行われたリハーサル見学会レポ (細かい発言部分などはうろ覚えなので、あくまで雰囲気のみをおとりください) ホールに入ると、舞台上ではすでに、冒頭の国葬シーンのリハをやっていた。 邪魔しないように静かに席につく。 見学会の司会はマガルディ役の渋谷さん。寒気避けなのか、マフラーしててかわいい。 芝さんはライン入りのオレンジ色ジャージ、チャコールグレーのTシャツ、ベージュのパンツ姿。 (Tシャツごしでも大胸筋がわかる……) 観客がそろうと、渋谷さんが静かに話し始めた。 「冒頭のシーンは、エビータのお葬式のシーンです。エビータの国葬には70万人もの人が訪れ、国家機能はマヒし、数千もの怪我人や圧死者なども出ました」 「リハーサルは、歌指導係、ダンスキャプテン、演技指導係とそれぞれの担当がやっています」 国葬シーンは、主に歌キャプテンからの指導が入っている。 「上下にクサビを打ち込むようにしてね」という声が聞こえた。 たぶん、最高音と最低音とにインパクトをつけて歌え、という意味だろう。 「歌の冒頭の、『♪レクイエム〜』の、レの音がぽーんと入るように」とも言っていた。 芝さんから、「シーン冒頭の、民衆たちが駆け込んできて歌いだすシーンをやってくれ」と要望。 歌について芝さんは、 「だんだん揃っていくようじゃダメ、最初からしっかり合わせて」と言っていた。 「最後のリフレインは、一人一人が責任もって、最後の音をきっちり切って」とも言っていた。 『エビータ、エビータ!』の部分のことだろうな。 渋谷さんがこのへんで自己紹介。続けて、舞台セットの説明。 「エビータの棺は、当時、本当に使われたものをできるだけ再現しています。材質はヒマラヤ杉。顔のところはガラス張りで見えるようになっています」 加えて渋谷さん、観客席に向かって質問。 「今回がエビータ初観劇という方はいらっしゃいますか?」 けっこうな人数が手をあげていた。 次はろうそくを持った聖歌隊のシーン。 筒に入った火、まさか生火じゃないよね? ちらちら揺らぐようになってる電球かな? ここで芝さんからアンサンブルに指導。 「丁寧に歌おうとするあまり、『うつーくしーくーじひーぶかーき』と、平坦に、フラットになってしまわないようにね。『美しく慈悲深き母の、御許に……』と、ちゃんと台詞や音の区切りを大事に、抑揚をつけて。お歌の発表会みたくならないようにね、ミュージカルだから」 次はブエノスアイレスのシーン。 ダンスキャプテンの谷本充弘さんが、男女ペアのダンスの部分を指導。 (女性ダンサーの足の上げ具合について)「そう、最低限それくらいやって」 ←彼の口癖らしい (ピッと反対方向を向く振り付けについて)「もっと、音がするほど!」 ←w (男性ダンサー陣について)「常にエバを意識して、エバを一人にしないで」 (男性ダンサーの、床を2回叩く振り付けについて) 「手だけで叩いてしまわないで、身体全体で叩いてね。赤ちゃん(の駄々)みたいにならないよう、全身で。労働者の怒りをぶつけて」 渋谷さんの説明。 「当時、ブエノスアイレスは世界でも5番目に大きな都市でした。このナンバーでは、女優になろうとして出てきたエバが、いろんなスタジオや芸能プロを回っているのを、ダンスシーンで表現しています」 エビータを囲む男たちのダンスについては、「あとでリハ室で(もう一度)やりましょう」とのこと。 まだまだ満足のいく出来ではなかったということか……。 そういえば、ダンスキャプテンがこのシーンのリハについて、 「ブエノスアイレス冒頭から」と指示したのに、ちょっとした手違いで途中からになっていたな。 (冒頭というのが、具体的にどこなのかが伝わってなかった感じ) ここからはファンからの質問会。 質問は事前に回収してあり、そこから抽選で選ぶシステム。 出てきてくれたのは遠山さやかさん・芹沢さん・荒木美保さん・百々さん・芝さん・井上さん。 ●役者さんにはいろいろと自分なりのジンクスをお持ちの方が多いそうですが、皆さんは? 遠山 「左足から階段を上るようにしています」 百々 「シャツのボタンを2番目からはめるとか、靴を右から履くとか、いろいろあったけど全部やってるとうっとうしくて、やめてしまいました」 荒木・芝・井上 「ジンクスとはちょっと違うけど、開演5分前は(役に)“入っ”ちゃって、誰とも口をきかないようにしてますね」 井上 「早変わり小屋があるんですが、座禅ってわけじゃないけど、そこに1人でこもったりとか」 ●役者さんはいつも濃いドーランを塗って、お肌とか荒れそうですけど、スキンケアはどうしてますか 渋谷 「これは女性陣にふりましょう」 遠山 「とにかくよく洗顔をすることですかね……」 荒木 「舞台がそうだからこそ、普段はあまりお化粧しないで、スッピンでいます」 井上 「水を飲んで代謝をよくします。あとアロマテラピーが好きなので、エッセンシャルオイルと〜〜(忘れた)を混ぜて使ったり」 ★ここで渋谷さん、スポンサーヨイショのしどころと思ったらしく 「ちなみに私は(スキンケアは)資生堂のエビータを使っています」と発言。 井上さんに瞬殺で「カネボウです」と突っ込まれ、あわてて観客に 「言わないでくださいね」とお願いしていたその顔は、目が笑っていなかった。 ●私も声を使ったお仕事をしていて喉が大事なのですが、みなさん健康維持はどうしていますか 遠山 「たっぷり寝ることです」 芹沢 「ぼくはまあ、丈夫なんで」 芝 「喉なんかは……酒で消毒」 ←w ●難しい曲の多いエビータですが、みなさん音の取り方はどうされてますか 渋谷 「これはメインの2人に振りましょう。たとえば井上さんは音大出身ですが……」 芝 「僕は楽譜が読めないので(そうなんだ!)身体で覚えるっていうか、体育会っていうか、とにかく何度も何度もやりますね」 井上 「私は、確かに音大出身なんですが、ピアノが弾けないし楽譜もあまり得意ではなくて……。私も体育会系なので、とにかく何度もやりますね。気が狂ったように同じ曲を歌っていたら、ついに演出家がばーんとドアを開けて、『井上、いいかげんにしろ!』と言ってきたことがあります」 渋谷 「四季には個室状の練習室がいっぱいあるんですね。ピアノが一台づつ入ってて。僕も、彼女ががんばるのを見てました」 ●エビータの見所はどこですか? 渋谷 「じゃあここも主演の2人に……」 井上 「えーと、どうしましょう、全部といえば全部なんですけど」 芝 「じゃあ、あれ言っときましょうよ、ワルツ。2幕目にあるんですよ、2人の対決が。こうガン飛ばしあってね。あのシーン難しいんですよ。回転する盆があるんですけど(歩くジェスチャーをしながら)タイミングが合わなくなっちゃったりね」 ●舞台の上からだと、客席はどれくらい見えますか? 井上 「新名古屋(劇場)は見えづらいですね。1〜2列目くらいまでは見えるんですけど。でも一番よく見えるのは、やっぱりカサ・ロサーダのシーンです。客席を民衆たちに見立てて、エバが感極まって言葉につまるシーンがあるんですけど、お客さんと目が合うと、本当に感極まっちゃいそうになるときがあります」 芝 「客席はそれなりに見えます。キャッツなんかすごく見えますね。ていうか、あれは客席にそもそも下りるんだけど。キャッツで、すごくお客さんを意識しながら、『生まれたのか?』って歌いかけてるのに、お客さんはほかの猫を見てたりして、『あれ?』ってなったりしますw 『(こっちで歌ってるのに)俺じゃないの?! 寂しい!』みたいな。お客さんも常連さんとかが多いとね、そうなっちゃいますね。特にキャッツとかはね」 ●役者さんそれぞれの初舞台を教えてください 遠山 「私は、キャッツのジェリーロラムを……」 芝 「(遠山さんにつっこみ)僕ね、ある日社長室に呼ばれて、遠山と引きあわされて、『今からこいつに英才教育をするから』って言われたんですよ。みんなで指導チーム組んで、ダンスはおまえ、歌はおまえ、演技はおまえ、みたく指名されてね。ダンスは坂田だったかな。英才教育っていわれてもなあ〜と思いましたけど、すごく頑張ってたよね」 渋谷 「僕も、(遠山さんの)相手役させていただきました」 ←確かにやってた渋谷ガス 芹沢 「僕の初舞台は、ストレートプレイで、アンチゴーヌの伝令役を」 渋谷 「(つっこみ)そのあと李香蘭なんかも頑張ってましたよね」 荒木 「エルリックコスモスの239時間というミュージカルをさせていただきました」 百々 「僕は、美女と野獣です」 芝 「僕はエクウスの馬でした。そのころは踊れるでもなく、歌えるでもなく、何もとりえがなかったので。ただちょっと馬っぽかったからというか……いや馬っぽいっていうのはないけどw」 渋谷 「(つっこみ)エクウスは、ピーターシェファーのすばらしいお芝居ですw」 井上 「私は最初、演出家のほうから、『WSSのサムウェアを歌う人(マリア)かキャッツのシラバブか、どっちか選べ』といわれて……。私は背が小さくないので、シラバブはきっと難しいと思ったので、「じゃあサムウェアで」と答えて、曲もそればっかりやってたんですけど……なぜかいつのまにかシラバブってことになっちゃったんです」 質問会はここで終わり、最後にプレゼント抽選会に移行。 事前に回収してある、記名式の質問用紙をクジがわりにして、プレゼント当選者を選ぶ。 1:サイン入りポスター×2 芹沢さんと百々さんが引く。 2:表にエビータ(本物)の写真がプリントされた半袖Tシャツ(役者陣が作った非売品)×2 遠山さんと荒木さんが引く。めちゃくちゃ欲しかったけど当たらず…… 3:裏にエビータ(本物)の写真がプリントされた長袖Tシャツ 白に井上サイン、黒に芝サイン 井上さんと芝さんが引く。欲しかったけど当たらず…… Tシャツは、渋谷さんが「はいモデルさんに見せてもらいましょう」と 井上さんと遠山さんが実物を着ている感じを見せてくれた。 ★その日のソワレ感想(簡単に) ●国葬 なんだか今日は……エバが黄泉から「泣かないで アルゼンチーナ」と歌っている姿が、 アルゼンチンの教会に集っている人々の、集団幻覚であるかのように見えた。 民衆たちが、『教会のマリア像にエビータの魂が宿り、歌いはじめた』という幻覚を見ているのを、 さらに客観的に外から眺めているような感覚に陥ったな。 (ワイドショーっぽいアオリを付けるなら……『奇跡! エバの死に、マリア像も涙を流した?!』) ●星振る今宵に 「初めて知った この素晴らしい愛の喜び」のテンポに入ると同時に、カクテルを作りはじめるチェ。 しっかりマラカスっぽくリズムに合わせてる。 ●ニュー・アルゼンチーナ 「夜にはベッドで コーヒー」とペロンがうっとり歌う部分で、 井上エバは『はあああ……』とイラついたような声を出す。ちょっと怖いw その後、引きつったような、ホント仕方ないわねコイツみたいな愛想笑いをペロンに向け、 「あなたの不安は私にもよく解るけれど」と歌いかける。 この演技、すごいなあ……。両者の力関係が見てとれてしまう。 ●2幕冒頭、チェの口上 芝さん、「カサロサーダに立つ!」言ってた。 「カサロサーダのバルコニーに立つ!」じゃなくて。 ●彼女はダイヤモンド冒頭 右のメイドさん、指輪を落としてしまう。 その瞬間、井上さんが、ちゃんとエバの表情のままで一瞬ピクっとするw 同じメイドさんは手袋はめるのも少し手間取る。無表情だったけど焦ってたのかな。 ●金は出てゆく湯水のように 「もう何も、残っては、いなーい」の部分、チェが早めに「エバー!!」とアドリブ入る。 ★エビータについて、史実からのちょっとしたメモ 実在するほうのチェ・ゲバラの、臨終の言葉は、 『落ち着け、そしてよく狙え。お前がこれから殺すのはただの男だ』というもの。 訳し方にはいろいろあるようですが。 この言葉は、英語版の歌詞でチェが歌う、 「Or just a man who grew and saw. From seventeen to twenty-four. His country bled, crucified? She's not the only one who's died!」 (それとも私は、17歳から24歳までの間、 祖国が苦しめられるのを見ながら育ったただの男なのだろうか。 彼女の死だけが特別なのではないのだ!) にリンクしているんだろうな。 |
2007/11/06 全国公演エビータ 夜 A 井上エビータ・佐野チェ・渋谷ペロン・内田マガルディ・久居ミストレス さ、佐野チェだああああ! キャストボード見る暇がなくて、芝チェだとばかり思ってたので、開幕早々パニクった!! さて、評価の難しい佐野チェ。 歌い方はちょっと綺麗すぎるかなあ。オペラっぽく朗々と歌いあげてしまい、遊びが少ない。 長台詞も、きちんとしゃべってます風でアナウンサーみたい。 しかし、それなら「冷めた」チェなのかというと、決してそうではない。 まじめすぎる歌い方だけど、こめられた繊細な表現はすばらしい。 歌重視のシーン、特に『空を行く』は、エヴァをまっすぐ見つめていてかなり執着が感じられた。 『ワルツ』のやりとりも、緊張感があって見惚れてしまう。 まじめな青年、という印象の強いチェだからこそ、 エヴァという存在にひたむきに噛みつこうとしているのがよく解る。そこがすごく萌えるのよ。 芝さんはどちらかというと、皮肉って、茶化すイメージだからな。 それもチェとしての一つのタイプなので、私は好きだけど、 なにぶんもう少しだけ、『噛みつき愛』があればなあ……と思っていたのよ日頃から。 あとはもう少し崩れてくれたら最高なのにな、佐野チェ。 「この一年はどうエバ? 大いに実りあったでしょ」のあたりなんてガチガチだったもん。 ここは芝チェのほうが、『からかい愛』に一日の長がある。 皮肉とけれんみの芝チェ。ひたむきさの佐野チェ。あー融合してくんないかなー。 なお渋谷ペロンはただよう小物感が大変愛らしかった。 ●レクイエム/こいつはサーカス 地方公演なので回転舞台はなし。 芝チェに慣れた目だと、佐野チェ、背が高い! 「始めから話そうか では」も、「身構え 狙いを定めたぞ」も、佐野さんの演技はあっさり味……。 ●星振る今宵 甘い声の内田マガルディ。遠目で観た限りだけど、若くね?! こんな若くていいのかマガルディ。どうでもいいけど中学のときの英語の担任に似てた。 内田マガルディの「俺 責任もたない」は、「イヤ、冗談じゃないスよ」って感じ。 (渋谷マガは軽く笑って流す感じだった) 「身から出たサビ、お気の毒さま」のときの、テーブルに座ったままくるっと回転する動き、 佐野チェもやってくれるんだけど少しぎこちない。 マガルディの歌詞、「僕のことも ブエノスアイレスも みんな忘れてる」になってた。 以前は「僕のことも 街のことも」じゃなかった? それとも私の方がCDと混同してるのか? ●グッドナイトサンキュー ここのナンバーでは佐野チェの、肩に力入ってる感じが、逆によかったかも。 男たちをこきおろすナンバーだもんね。小気味よい。 佐野さんは「カメラマン」と発音する。芝さんは「キャメラマン」だったような。 「ズボンを上げて」の股間への指さし、佐野チェ、無駄にビシッと指さしててちょっとウケた。 ●飛躍に向かって 佐野チェダンス、きぱっとしててけっこう好き。やはりダンスは緩急があってなんぼ。 芝さんはけだるげに流してしまうからなあ…… ●エリートのゲーム 椅子取り、けっこう客席から笑いがおきててよかった。 渋谷ペロンもちょこんと座る感じがかわいい。 最後にひとりだけ勝ち残ったとき、渋谷さんはずーっとうつむいたまま前に歩み出てきて、 最後の♪ジャン!!ですばやく顔を上げる。あれは格好いいな。 ●チャリティコンサートで 渋谷ペロンは、下村ペロンよりもひとまわり、早くヤリたがっているw キスを迫るあたりの食い下がりが若干しつこいw ●スーツケースを抱いて ミストレスは名古屋と同じ人。 まあ聞けるか……初観劇の東京でのミストレスよりは…… 玄関先で、自分の女たちの決着を待つ渋谷ペロンは、ちょっとオロオロしていたw それにしても、やっぱりこのナンバーって謎が多いと思う。 「ありえたかもしれないもう一人のエビータ」なのかなあ。ミストレスは。 ●ペロンの野心 何度も書くようだけど、佐野チェ、「この一年はどうエバ?」の台詞はもっと遊んでほしい。 もっと下卑た感じでいいと思うんだけどなあ。ここでは記者なんだし。 ●ニューアルゼンティーナ このナンバー、下村ペロンは乗せられながらもまだしも冷静なイメージだったけど、 渋谷ペロンは本気で、ただ単に乗せられているw 秘密警察も、エヴァに付けてもらったんじゃないのか? って感じすらある。 軍服を脱ぎ捨てるときも、「ええい、ままよ!」と、眼をつぶって清水の舞台から飛び降りる感じ。 2幕 ●カサ・ロサーダのバルコニーで 「アルゼンチンの独立と 尊厳 誇り……」と歌う渋谷ペロンの、 胸に手をあててすごく嬉しそうにしている感無量っぷりは、ちょっとかわいい。 でも、いっつも思うんだけどちえさん、 『アルゼンチンよ泣かないで』の歌詞を音節ごとにブツ切れさせて歌うよなー。 もうちょっとなめらかに繋げて歌ってもいいんじゃないか。 佐野チェ、「ひっどいことになる わけの解らん奴が」の部分、1オクターブ高かった。 ●空を行く ここにきて、佐野チェからにじみ出てくる情感がいい。 ツレが言うには、『同じ地平にいる感じ』。ちゃんと執着してるんだよねー。 芝チェも愛がないわけじゃないけど、一歩引いた感じなんだわ。 佐野さんは、こっちを見ろよ、俺の話を聞けよ……!というアピールをしてくれる。 この歌は純粋なるラブソングである、というのが私の見解なんだけど、 芝チェの場合、 これからの彼女の転落を知っている者としての視線で歌う、どこか哀しいラブソング。 佐野チェの場合は、 とりあえず今、エビータに俺のほうを見てほしいと願って歌う、ひたむきなラブソング。 最後、両者が視線を合わせるところは、 芝さんはわずかに視線を交わす感じだったけど、佐野チェはけっこうキッと見ていた。 ●虹のごとくに 今さら気付いたけど……なんかこのシーンって、ずっとエバ一人なんだね。 最初こそ着付け係の人たちがいるけど、彼らが去るともう誰もいない。 『わたしは憧れ』だの、『救い主と呼ばれる私』だの、そんな内容の歌詞を、たった一人で歌う。 なんかこれ、さみしいな。 ●虹の歴訪 このシーンは遠目のほうが綺麗だな、あたりまえだけど。 「ペロンとムッソリーニが 不思議だね」のセリフ、もっと皮肉っぽくしてほしいよ佐野さん。 「ごまかすな 虹は色あせた」も、もっともっと決定打っぽく言ってほしい。 ●金は出ていく湯水のように 佐野チェのつっこみシャウトは「エっバ!!」と短め。 最後のキメのポーズは、芝さんは『セクシー』だったけど、佐野さんは『苦悩』だった。 いかん、これはこれで萌える。 本当に真面目にエバのことを気にして、悩んでいるチェなのね……! ●サンタ・エビータ このナンバーでのチェの問いかけも、佐野さんの真面目な口調だと、真に迫ってていい。 芝チェは、メタ視点での超越者のような問いかけをするんだけど、 佐野さんは地に足がついた、問い詰めるような口調で、それがドキッとさせられる。 ●エビータとチェのワルツ 地方公演なので、「すれちがったところでチェが振り向き歌いだす」という綺麗な流れがなくて残念。 回転盆もないしね。 佐野チェは真面目なので、言ってることがとにかく正論ぽく聞こえるうえに、 まっすぐしっかりエバと向き合うので、見てると一触即発ぽくってハラハラする。 以前観たときに気になった、一旦去ったチェが戻ってきて、よろよろ退出するエバを見守る流れ…… 芝さんのときは違和感のあるタイミングに見えたけど、佐野さんはそう思わなかった。 たぶん、佐野チェの演技が人間らしいからだな。 彼女が病気であることを知って、「そうなのか……」という表情で戻ってくるのが似合っている。 芝さんはなんか、そういうことは最初から知ってるような感じがあるから、 見ててなんか違和感感じるんだろう。 ●彼女はダイヤモンド 腰を低くして説得しまくる渋谷ペロン、大袈裟に振りはらう軍人たち、の対比が面白い。 下村さんのときはここまで必死そうには見えなかった。 ●サイ投げ/エバのソネット 病気のエヴァを看病する渋谷ペロンは、なんとなくけなげに見えたので、 あー、このペロンは小物なりに不器用な愛があるのかな……と思ってたんだけど、 ついに倒れたエヴァを見捨てるシーンは、一転、ものすごく冷たい。 (ツレは、看病してたときから冷たかったよと言ってたが) 下村ペロンは、まだ世間体をとりつくろってくれる感じがしていた。 『かわいそうにねー、エヴァも病気には勝てないのかー、 もう休んどきなよ、次はどうすればいいんだろうねー、まあ僕には解んないけどね、 じゃあ僕は忙しいからもう行くよ、ああ悲しいなー、なんという悲劇だろう』 と、ぺらぺら安い言葉をつくして悲しがりながらも、さっさと次に言ってしまう感じ。 シモーヌの、派手な、いい意味でわざとらしい演技がそう見せている。 渋谷ペロンはそれすらない。シモーヌのような、「とりあえず嘆いてみせる」ってのすら無い。 エバが倒れるのと同時に、くるっと手のひらを返す。 『あ、ダメなのか。じゃあさよなら』 これだけ! 「次はどうする 次はどうする」も、明らかに、自分にしか言ってない……! いやあ、これはこれで、ペロンの人物像がなかなか面白いと思うよ。 ●エバ最後の放送 チェが、エバを抱きとめるとき、手を握ってくれててよかった…… わざとやってくれたんなら最高です佐野さん…… ●エバのイリュージョン ちょっと短くなってたね全国公演版。 でもロングランのときの長いバージョンも、単調で飽きてしまいがちなんだよなあ。 海外版のように緩急をつけてくれればいいのに。しっとりさせるばかりが能ではないだろう。 ●エバのラメント 遠目だからかなあ、前に観たときには堂々としすぎてて気になったエバの立ち姿が、 それなりに儚く、死をまとっているように見えてよかった。 しかし……このミュージカルのラスト付近って、ちょっと華がないなあ……と実は思っている。 (四季の場合、初演時は演出でいくらか遊びを見せていたようだけど、 もともとの楽曲の流れからして地味なのではないかと……) 『ワルツ』が終わってからは、アップテンポの曲がひとつもない。 もう少し変化をつけてもいいんじゃないかなあ。 2006年のロンドン公演は、CDを聴くかぎりだと、『イリュージョン』をわりと激しい演奏にしている。 こうしてくれれば、眼にも耳にも、まあ楽しめるかなと思うんだが。 カーテンコール、チェの締めがなかった。まあ地方だから仕方ないか。 最後まで折り目正しいチェなのは面白かったです。 |